DynaFont PICK UP書体-金蝶体
ダイナフォント2024年新書体「金蝶体」
時間の隙間に舞う蝶
『島の物語を紡ぐ者たち』は、Flaneur Culture LabとFisfisa Mediaが共同プロデュースした、台湾の文学の巨匠たちの生涯と文学の成果がテーマのドキュメンタリー映画です。2024年5月現在、3つのシリーズが公開され、通算18作品(20名)の文学者にまつわる映画が発表されています。また2012年には6名の文学者を取り上げたシリーズ1作目の完全保存版DVDもリリースされ、同年度の台北国際ブックフェアで販売されました。書体デザイナーのOliveはこの時、Flaneur Culture Labの出展ブースに入り、ガラスのショーケースに展示された周夢蝶の小楷で書かれた手稿に目を奪われました。その筆跡は正面からは蝶が羽を広げているように、横からは羽を閉じているように彼女の目には映りました。瞬間、蝶の形象は紙上から飛び出して金の蝶が草原に飛び舞うような詩情による光景が広がったのです。
その文字への思いは卵となり、孵化、脱皮、蛹化し、10年という時を経て、金の蝶はいよいよ繭を破り、詩情風景が託された「金蝶体」の姿と成りました。
周夢蝶(1920-2014)は本名を周起述と言いますが、筆名の「荘周・胡蝶の夢」に因んで多くの人は敬称として「周公」と呼んでいます。1950年代に詩壇に登場した周夢蝶は、当時の台湾の三大詩社のひとつ「藍星詩社」のメンバーでもありました。生涯に出版した詩集は『孤独国』、『反魂草』、『約会』、『十三輪の白菊の花』、『ある種の鳥もしくは人』等で作品の数自体はそれほど多くはありませんが、そこに周公の慎重な創作姿勢が現れているとも言えます。また周公は1959年から1980年にかけて台北武昌街にある明星珈琲館外の騎楼で本の露店を構えています。綿地のチャンパオ(中国の伝統衣装であるロング服)に身を包み、痩せこけた姿で、質素な露天本屋の中に座り込み、時にまどろみ、詩を書き、禅定を修めます。1980年の胃病による手術で終わりを迎えなければ、周公の古本市は引き続き存在し続けたであろう21年に及んだその特別な景色は、「武昌街の一つの文化景色」と美称され、台湾の大切な時代文化の記憶となりました。
元々、詩に全く触れてこなかったOliveは、まずその筆跡から周夢蝶の名を知り、その人、出来事、詩に興味を抱き、探索の段階へと踏み込んでいきました。展覧会に出向き、ドキュメンタリー映画を鑑賞し、講座を受け、最終的に「周夢蝶詩賞学会」に入会しました。こうした探索の過程で、周公への好奇心はやがて尊敬の念へと変わっていきます。周公の清貧に安んじる生き方、穏やかな書きぶり、そして当時最も栄えた台北の雑踏の中に暮らしながらも一切、大衆の影響を受けないその自由な性格にOliveは憧れを抱かせずにはいられませんでした。 またOliveは、周公が仏教を学んだ後の禅心と字を書く際の心境にも思いを馳せるようになりました。「金蝶体」は、こうした細やかな積み重ねの中で形作られていったのです。
▲最も知られている、露店でうとうとしている周公の写真(撮影:張照堂先生、写真提供:曾進豐教授)
周公の字は周公の命の境地からなります。映画『島の物語を紡ぐ者たち──化城に留まった再来人』には他人には模倣しがたいほどの周公による極めて緩徐で修行のように集中して字を書く様子が記録されています。Oliveにも再現はできないものの、彼女は書体デザイナーとしての文字に対する経験と理解を活かして「金蝶体」の制作過程で、提按、転折、蔵鋒、露鋒、九宮格といった様々なルールを重んじずとも文字に対する敬虔さと誠実さに重点を置いて、最大の精神力を尽くし一つ一つの文字を書けば人の心を動かせるのだと、ある種“技法のない”文人の字を悟るに至りました。
2021年、台湾でコロナ感染が爆発的に急増しました。Oliveも在宅勤務となりましたが、外出が最低限となったことで、これまで忙殺されていた生活と通勤の移動疲れなどからようやく一時解放されることになりました。こうした状況は心身を落ち着かせ、若い頃に勤しんだ書道を再度始めるにも至りました。写経用狼毫小楷筆と長形罫線入り雁皮写経用紙を使用し、ひと筆ひと筆、一枚一枚書き、硬筆も使用して、書体の構造を丁寧に掴んでいきます。周公が世に残した少量の筆跡から、詩の意味が感じられる理由を読み解き、自らの筆法と構造慣性を用いることで金蝶体の形を創造しようとしたのです。
金蝶体の発生は「蝶」に対する想像が起点でもあります。そこから派生して、Oliveはまず文字に蝶の形象を多く取り入れました。ほかの楷書字形が「線」に筆画の重点を置くのとは異なり、金蝶体は線と面から展開される立体効果をより強調しています。書体の構造がもたらす幾何学的美学のほか、筆墨による太さの極端な変化、筆画末端の濃墨のにじみ、はらいの視覚操作で、蝶が羽を広げ、閉じる形象を描き出しました。更に、一部の筆画の起筆は蝶の蛹や、触角の形状を模すことで、全体の字形として、蝶が舞うような、生命感を宿したビジュアルが完成したのでした。
詩情が溢れるようにする
Oliveが「金蝶体」の目標としたその理想は、周公の控え目さ、飾らなさ、緩徐さ、禅心を帯び紙上に満ちた詩情の精神をフォントとして落とし込むことで、詩との相乗効果が叶う字形を創造し、「金蝶体」を使うことで詩情を日常生活に溶け込ませることです。
仮名デザインにはどのように詩情を表現したのでしょうか。実のところ、Oliveがこのフォントの創作の準備段階で行ったのは漢字書道の練習ではなく、日本の書道講師のもとで日本語の草書体「連綿体」を学び始めることでした。日本で現存最古の『古今和歌集』の写本である高野切本は「連綿体」の写本でもあります。「連綿体」は詩を象徴しており、「金蝶体」もまた詩を象徴する書体であることから、詩のような漢字に詩のような仮名を合わせることでこの上ない美しい書体になるに違いないと想像を膨らませていきました。
こうして彼女は「連綿体」の世界に足を踏み入れていきました。真剣に書写を練習しつつ、市場の「連綿体」仮名の字形を研究し、張り切って一つ目の金蝶体の仮名デザインを仕上げていきました。しかしその仮名デザインに関してダイナフォントの仮名デザインを担当する書体デザイナー・新海真司に意見を求めたところ、現代の日本人は連綿体が読めないと言われてしまいました。日常生活に普及させることを目標とした字形としても、更には漢字と組合せたときの効果を考慮しても諦めることが妥当だろうという結論になりました。Oliveの願いは叶わず他の方法を探るしかなくなりました。そこでまず彼女が試したのは「痩金体」風の仮名でしたが上手く調和しませんでした。様々なデザインを試行錯誤した結果、新海真司が手掛けた詩情溢れる古籍書体「古籍糸柳B」の仮名を母型として「金蝶体」の漢字筆画の特徴に基づいて仮名の頭部や折転等の部分を調整することで、「金蝶体」の漢字と組み合わせると素晴らしい効果を生み出す仮名デザインが完成したのでした。
手稿のぬくもりを呼び起こす
文学者の手稿での創作は、もはやノスタルジックな光景と言えます。Oliveにとって周公がいた手書きの時代はとても貴重です。手稿に文字を書き、書き直し、校正していた時代に戻ることは難しいのですが、デジタルの世界の中でどうにかして、あの時代の手書きの風情を残し、3C製品でタイピングしてできる詩や文章の原稿に、あの慎重で誠実な手書きの雰囲気を醸し出せるようにしたいと、Oliveは願いました。
ただしユーザーがどのように文字をレイアウトするのかはユーザー自身に委ねられるため、自由な発想での使い道にデジタルフォントを適応させるためには、ある一定の同一性も必要不可欠です。例えば、それぞれの字の大小に大きな差があってはならず、太さにも数値の設定などが求められます。Oliveはまず始めに、大小の制限を打破しようとしたが、最終的にデジタルフォントの汎用性の点から考慮して折衷案を見出すことにしました。こうして完成した「金蝶体」には、雑然の中に体系的な趣きも発見でき、更に筆画の太さと細さの張力を持つ強烈な対比という、Oliveの手書き質感に対する強いこだわりが随所に隠されたフォントになりました。
▲Oliveによる書体手書き原稿
詩人が故人となっても、詩人はそばにいます。蝶の一生は短く、壊れやすくとも、成虫となり、蛹となり、羽化する過程は何度も繰り返される輪廻のようです。──「金蝶体」の誕生は、このデジタル時代においても、昔のあの日の手書き情緒を再び呼び起こし、喧噪を無視した平穏な静けさ、ゆるやかさの中に、生き続ける文字の力を表現しています。
DF金蝶体の特長
台湾に一生を捧げた詩人の書かれた筆跡にひらめきを得て、ストロークと筆画先端の墨だまりが蝶の羽ばたきのごとく、奥ゆかしく詩情に溢れる文字の佇まいに文人の魂が宿り、しなやかな文字で詩を奏でます。
書体デザイナー・Oliveへのインタビュー
Q: 以前書道を学んだことがありますか?
Olive: 子供の頃に兄と妹は進学クラスだったのですが、私は違って普通クラスだったので、父に国語日報(台湾の国語教育塾)に連れていかれて書道を勉強していました。また高校時代には小楷書道の賞を獲ったこともあります。私がダイナコムウェアを志望した当時、実は書体をデザインしたことはほぼ無くてPOPデザインの経験だけでしたので、その賞状を持って面接に行ったんです。上司もきっと『こんな人がいるなんて』と驚いたと思います(笑)。実は私自身、大楷を書くのはあまり好きではないのです。胆識があまりないので。でも小楷を書くのは好きです。ただ近頃は全然書いていなかったので、自分が本当に書くことができるのかずっと懐疑的で、今回のデザインはかなりのプレッシャーになりました。まず綺麗なものを代表の文字にしてから、とにかく書いて、書いて、書いて、自分が納得するまで書き続けました。そして何行か書き終えてから、選びます。ちょうどコロナ禍で在宅という事もあって、こんな風に書けたんです。
Q: 「金蝶体」という書体の位置づけについてはどのように考えていますか?
Olive:「金蝶体」は物語を紡いでいるような書体であってほしいと思っています。詩を書いているような字で、見る人を情景に誘います。フォントを通じて、心静かで安らかな気持ちになってもらえたら嬉しいです。私は社会に出たばかりの時、出版社でアートディレクターをしていました。あの頃はまだ写真植字の時代で、明朝体やゴシック体、楷書体、丸ゴシック体、宋朝体などがメインだったので、文学寄りの書籍の表紙を制作する時に使う場合は宋朝体が選択肢になっていました。しかし今では「金蝶体」もありますので、選択の幅も広がっていますよね。「金蝶体」は宋朝体と同じように割と文芸的な質感もあって、ミスマッチも出にくいフォントだと感じています。
※金蝶体は、ダイナフォント年間ライセンス「DynaSmart V」に収録されています。
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