ぬらくら第147回「産総研 柏センター」
JR 常磐線柏駅からバスに乗って15分、「柏の葉高校前」で下車。そこは走る車の少ないゆったりした道路、真夏を思わせる濃い色をした空と緑、柏の葉高校の広い門からは生徒達が三々五々下校してきます。
生徒達をやり過ごし、教えられてきた柏の葉高校正門に並ぶ格子門に行ってみると、大きなスマートロックがついたその門は閉まっています。試しに押してみると……、開きました。
ここは「産総研柏センター」への通用門です。門を入って真っ直ぐ400メートルほど行くと東京大学柏IIキャンパス産学官民連携棟の奥に隠れて産総研柏センターが建っています。
産総研は「国立研究開発法人産業技術総合研究所」のことで日本の産業技術の発展と競争力向上を目指して活動する研究機関で、北海道から九州にかけて九ヶ所に研究拠点があります。
その内の柏センターでは人工知能(AI)やセンシング技術 (* 1) を活用した「人間拡張技術」を中核とした研究を行っています。ここには AI において重要な、学習計算向け計算基盤設備 ABCI (AI Bridging Could Infrastructure) があります。ここでは最先端の AI 技術の研究開発が進められている一方で、多くの企業・研究機関・大学などにも利用されています。
「柏の葉」は、東京大学や千葉大学、国立癌研究センター、大日本印刷研究開発センターを始めとした教育機関や研究機関が集積しており、ショッピングモールや飲食店、スーパーマーケットなどの商業施設も整っていて研究者達の日常生活を支えています。
そんな立地にある産総研柏センターを訪問したのは「人間拡張研究センター」を見学させていただくためで、別ルートからやってきた日本電子出版協会 (JEPA/* 2) の有志達とも無事に合流することができました。
今日の見学ツアー参加者は十一名、全員が揃ったところで、人間拡張研究センターの担当者からプレゼンテーションコーナーに案内されました。そこで受けた説明によれば、人間拡張とは『人に寄り添い人の能力を高めるシステムのこと。人間拡張研究センターでは情報技術やロボット技術を活用したウェアラブル(装着できる)あるいはインビジブル(見えずにそばにある)なシステムを研究対象にしている。これらのシステムを利用することによって、人の能力を拡張することはもとより、継続して使用することによってその能力を維持・増進できるようにすることを目的としている。そして、それらが社会で継続的に使用され、新しい産業基盤になるような状況を目指している』そうです。
人間拡張研究センターの概要説明を受けてから案内されたのは「生活機能ロボティクス研究チーム」の研究室です。
ここではロボット技術を活用して、高齢者や障害者の自立支援、介護ロボットの開発、家庭内でのロボットとの共生など、人々の日常生活や生活支援に関する課題を解決することに取り組んでいました。研究室内には多数のセンサーやカメラが取り付けられたベッド、キッチン、トイレ、風呂が設置されており、研究成果の検証やデータ採集ができるようになっていました。
研究担当者の言葉に促されて利用者を助ける機能が追加された歩行補助機を押してみました。歩行補助機を押す力を急に強くすると自動的にブレーキがかかり、利用者が転倒するのを防いでくれます。万一、利用者が歩行補助機ごと転倒した場合には自動音声装置が『転倒しました』と警告を繰り返して周囲に知らせる機能もついていました。
次に案内されたのは「スマートワーク IoH (* 3) 研究チーム」の研究室です。
ここで見せていただいたのは開発中の「飲食サービス向け接客業務訓練 VR システム」で、これはロイヤルホストとの共同研究だそうです。
飲食サービス業界における接客業務訓練は、様々な店の状況や客との対話が求められますが、実際の環境では訓練に限界があります。仮想現実 (VR) 技術を活用したシミュレーション環境の開発によって、記録されたトレーニング映像や分析機能を活用して、自己評価やフィードバックの提供も容易になり、接客スキルの向上や業務効率の改善を支援することが可能になります。
実際に開発されたシステムで VR ヘッドセットを着けさせてもらいました。VR ヘッドセットを装着すると、目の前は仮想現実環境下に再現された実在するロイヤルホストの店内です。そこで、来店した客を空いている席に案内し、水を出し、注文を受け、料理を提供し、新規に来店した客に対応するなど、実際の業務に近い状況が再現されます。ほんの数分の体験でしたが、VR ヘッドセットを外すと軽い船酔いのような感じが残りました。指導に当たってくださった開発担当者によると、VR ヘッドセットを装着したトレーニングは多少の慣れが必要なのだそうです。
最後はこの日の目玉ともいうべき最先端の AI 技術の研究開発に特化した ABCI の見学です。
産総研柏センターに隣接して建てられた窓のない三階建ほどの大きさの専用のビル「AI データセンター」内に収まったこの ABCI は、産総研が構築・運用する世界最大規模の人工知能処理向け計算基盤設備です。
データセンターの中に入ると緑色のパネルに覆われた黒い本体がのしかかってくるようです。データセンター内といえば冷房がガンガンに効いているはずなのに、ここはムヮッとするほどの室温です。案内してくれた担当者の説明では 30℃程あるそうですが『何故この高温?』という疑問が湧きました。
コンピューターの演算処理装置 (CPU/Central Processing Unit) や画像処理装置 (GPU/Graphics Processing Unit) が高熱を発するのはみなさんがご存知の通りですが、その CPU や GPU が 57,500 個も並ぶ ABCI はどれほどの熱を発生させているのでしょう、想像の域を超えています。
ABCI は従来の空冷方式に加えて液冷式を併用して、省電力を実現しながら高いパフォーマンスを獲得しているそうです。
ABCI の演算処理装置 ABU (AI Bridge Unit) に搭載されている多数の CPU や GPU は高い演算能力を持っていますが、その一方で当然ですが発熱量も膨大です。そこでこの ABU に設けたヒートシンクに高い熱伝導性を持った液体を直接循環させて熱を効率的に取り除いているそうです。液冷方式の特徴として冷却効率が向上するだけでなく、冷却ファンの騒音やエネルギー消費も削減されているそうです。
全ての見学を終えて「AI データセンター」を出ると、バスを降りた時にはあれほど眩しく強かった陽射しは幾分か和らいでいます。柏の葉のカラッとした空気の中、皆でつくばエクスプレス線の「柏の葉キャンパス駅」近くまで歩き、駅前の食堂で空きっ腹を満たしてからの解散でした。
* 1) センシング技術
センサを使用して、物理的、化学的、または生物学的特性の量を検出し、情報を取得して付加価値の高い情報に変換する技術。
* 2) 日本電子出版協会 (JEPA)
一般社団法人 日本電子出版協会(JEPA/Japan Electronic Publishing Association)。
1986年に黎明期にあった日本の電子出版の発展を目指し設立された団体。出版社、メーカー、ソフトウエア開発会社、印刷会社、プラットフォーム会社など110社以上が参加、活動している。
https://www.jepa.or.jp/
* 3) IoH
Internet of Human の略称。デジタル機器やモノだけでなく人もインターネットに接続される概念を指す。IoH によってインターネット上に集められた人の位置や行動、各種の生体情報、感情、嗜好などの情報を分析することで、人の行動や健康状態の改善、組織の生産性向上の支援、高精度なマーケティング情報の入手、といったことが可能になる。
タイトルの「ぬらくら」ですが、「ぬらりくらり」続けていこうと思いつけました。
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コンサルタント
mk88氏
PROFILE●1942年東京都生まれ。1966年桑沢デザイン研究所ビジュアルデザイン科卒。設備機器メーカー、新聞社、広告会社を経て、総合印刷会社にてDTP黎明期の多言語処理・印刷ワークフローの構築に参加。1998年よりダイナコムウェア株式会社に勤務。Web印刷サービス・デジタルドキュメント管理ツール・電子書籍用フォント開発・フォントライセンスの営業・中国文字コード規格GB18030の国内普及窓口等を歴任。現在はコンサルタントとして辣腕を振るう。
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