ダイナフォントストーリー

カテゴリー:連載コラム「ぬらくら」
2023/05/30

ぬらくら第145回「明朝体の教室 最終回」

2023年3月18日、とうとうこの日がやってきました。
この日、午後2時30分、「明朝体の教室」の最終回が阿佐ヶ谷美術専門学校で開かれました。2018年11月に第一回目が開かれたこの連続セミナーの最終回は十七回目になり、足掛け五年に及ぶ連続セミナーでした。

限定五十名の対面参加で開催された「明朝体の教室」最終回は、事前に録画された小宮山博史 (* 1) さんと鳥海修 (* 2) さんの Zoom による対談が大きなモニターに流れて始まりました。対談のタイトルは「明朝体ってどういう書体なのか?」です。

その冒頭と最後から二人によって何が語られたのか、少しだけ紹介します。

対談の冒頭、小宮山さんが、

小宮山:ボクたちは勝手に明朝体、明朝体と言っていますけど明朝体ってどういう書体なのかって、言ったことがないノネ。確かにゴシック体だとか、色々ありますけども、ボクたちが使っている明朝体の定義っていうのは、実はされたことがない。一番簡単に言えば、日本の文字って三字種ありますよね、漢字、ひらがな、カタカナ。デ、それでもって明朝体って組んでみると、そしたらその三字種に共通するデザインは無い、何にも無い。つまり、ボクらが言っている明朝体っていうのは漢字の横線が細くて縦線が太くて、横線の右側にはウロコが付いてる。ああいうのを明朝体って言ってるんだけど、ひらがなとカタカナにはそれは無いですね。それで明朝体って言って好いのか! 年寄りは怒っているわけ。
鳥海:アハハハハ……。
小宮山:怒りません? 本当はね、それを最初にやらなきゃいけなかったんじゃないかって言うのが、心のどっかに残ってる。

……と「明朝体」という書体名が持っている問題点を提起します。

対談は〈上海経由で日本にやってきた明朝体は、上海では明朝体とは呼ばれていなかったこと、明朝体とつけたのは日本ではなかったのか? もしそうなら一体誰が明朝体と名付けたのか?〉と答えの見つからない深みへと進んでいきます。

さらに小宮山さんは〈活字彫刻家たちの文字を形作るというノウハウが受け継がれてこなかったことの損失の大きさを嘆き、鳥海さんが写研時代にどのようにして文字の作り方を教えられたのかについて糺し、先人たちの文字作りに対する経験と知識を継承できなかったのはとても勿体ないことだった〉と嘆きます。

鳥海さんが明朝体をデザインする時の手法についても、細かく聞き出していきます。

小宮山:ひらがな、カタカナっていうのはやっぱり前の時代のある程度の歴史を引き継いで作られている、っていうことになりますか。
鳥海:はい、そのつもりです。
小宮山:そういうのをモダンっていうのかスタンダードっていうのか、なんでしょうね?
鳥海:それは……、分かんないです。
小宮山:分かんないだろうね、質問してても分かんないんだから。でも、結局、今の話、前からもずっとそうなんですけれども、前の時代のものを引き継いでいるっていうところだけは確かですね。突然新しくなるわけではなく、前からあるものを少しずつ改良を加えて作っていったっていうことになるのかな?
鳥海:そうですね。それは時代の背景みたいなものもあるし、例えば、その、紙に印刷するものから、電子デバイスで表示するっていうこともあるし、横組がすごく多くなってきたっていうこともあるし、さらにカタカナ言葉がものすごく多くなってきたっていうこともあるので。あとマァ、漢字の使用頻度が上がったのか下がったのかチョット分かんないですけども、ひらがな、カタカナの使用率みたいなものも変わってきていると思うし。そうすると、その時代が変わることによってそういういろんな要素が増えてきて、それに伴って、その、大きさも、好まれる太さも変わってくるんじゃないかと思いますね。
小宮山:といことは、書体っていうのは、時代によって人々によって少しずつ形を変えながら現在に至ったって考えて好いのかな。
鳥海:私はそう思います。
小宮山:これらもどんどんそうやって変わっていくんだろうと、明治三年に日本入ってきた明朝体の原形っていうのが、ひらがな、カタカナも含めて全部がそういう考え方で少しずつ少しずつ手直しされて今に至ってきたっていくことか、そういう風に考えて好いかね。

対談の最後に小宮山さんは、

小宮山:鳥海さんは一番最初に文字をデザインするのに習ったテキストってあります?
鳥海:ないです。
小宮山:学校でもなかった?
鳥海:あ、あのね、桑山 (* 3) さんの「レタリングデザイン」っていうのが……、大学の時に買わされました。
小宮山:レタリングっていう世界でしたよね、文字を書くっていう。書体作りも文字を書くんですけども、レタリングって基本的には昭和でいうと四十年代前後が最も高揚した時代だったと思うんですけども、あれも今見てみると何ていうのかな、図案文字の流れを汲んだ、非常に出来の悪いサンプルがズーッと並んでいるっていうのが多かったような気がするんですよ。見てもちっとも綺麗じゃないっていうかサァ、なんでこういうふうにしなきゃいけないのか、誰も書いていない。ロクでもない字ばっかなんだ。そういう字で勉強してきた人が好い字描けるかって、どっか頭の隅にはある。だめかね、こういうこと言っちゃ。言っちゃだめだろうね。
鳥海:好いんじゃないですか、小宮山さんだから。
小宮山:アノ~、つくづくそう思いますね。なんでこれがレタリングなんだろうか、レタリングってもうチョット精度の高いもんじゃないのかなっていう風には思ってはいるんですけどね。でも、見たことないですね、ボクは見たことないですね、そういうテキストは。だから、そういうふうに考えてくると、今、小沢 ( * 4) さんが作っている「明朝体の教室」の単行本 (* 5) っていうのは画期的な本だと思う。つまり明治三年に明朝体が渡ってきて百五十年ですけれども、その百五十年の間にこういう書体作りのテキストが作られたことが一度もないっていう、非常になんか寂しい世界なんですけれども、これからそういう本が出てゆく、作られてゆくって考えた時に、やっぱり嬉しいなっていうふうに思いますね。この対談も最終的にはこの本の宣伝で終わりたいと思っているんですけれども、その意味っていうのはやっぱり百五十年の歴史の中に立った書体作り、それがどういうものかっていうのをチャント記述するっていうところが素晴らしい。今までずっとやってきた「明朝体の教室」のセミナーも、やっぱりこれも日本で初めての作業であったと思うんですね。こういうのが将来にわたってある程度の影響を与えていかれれば、なかなか明朝体も捨てたもんじゃないなというふうにボクは思ってます。人の悪口を言いたいなぁって思ってこの対談をお受けしたわけです。で、一番最後に人の悪口を大分言いましたけど、今まではそうだったけど、これからはそうじゃないよってことだと思うんですね。きっと、アノ、このテキストを見て若い優秀な人たちがたくさん出てくるんではないかっていう風に、実は期待をしております。

小宮山さんと鳥海さんの対談はここで終わります。
対談が終わると同時に、会場からはモニターの二人に向かって大きな拍手が起こりました。十分間の休憩を挟んだセミナー後半は鳥海さんへの質問の時間です。司会と質問の読み上げは日下潤一 (* 6) さんです。

先ずはセミナー申込時に受け付けた質問から。

日下:游丸ゴシックはいつできますか?
鳥海:実はワンウエイトはもうできていますが、ファミリーが全部揃ってから発売しようと思っています。それがいつになるか皆目見当がつきません。
日下:日本のタイプデザインのこれからの変化にどんなことを期待していますか?
鳥海:TDC (東京TDC/Tokyo Type Directors Club) などいくつかのタイプフェイスデザインコンペティションの審査員をしていますが、そういうコンペティションで新しいタイプフェイスデザインが出てくるわけですよ。私が『ア、これが好いんじゃない』と思うような書体があまり一等賞にならないんです、私はズレているのかなっていう気がとってもする今日この頃です。私が、日本のタイプフェイスデザインのこれからって考えた時に、先ず、新しいスタンダードっていうのは見てみたい、私の気持ちとしてはとっても思います。でも多くの審査員は『おそらく、もう、これ見慣れてるよ、こんなの出したって売れないんじゃない』という風な尺度で受け取るとしたらそれは賞には入らない。だけど、私はそういうものを見てみたい。それから見たことのないような完成度の高い書体を見てみたい。実はねぇ、あったんですよ、TDCで。おっ、これは好いと思ったのが。全然(票が)入んなかったの。ちょっとねぇ、オレ転ぶようだったの、ウソでしょうみたいナ。ということで私個人的にはそういうものを期待しているといえるんですけど、それが必ずしも世の中にあっているかどうかは分からない、ハイ、そんなところです。

他に事前質問が四問、会場からも時間の許す限り六人の方からの質問に答えた鳥海さんが、解答後の挨拶の中で『「明朝体の教室」は日下さんの発案で、小宮山さんを説得して鳥海と一緒に始まりました』と、この連続セミナーが開かれるようになった経緯を披露してくれました。そして会場からの盛大な拍手の中、セミナー実行委員会から花束を手渡され大照れの鳥海さんでした。

続いて、会場を提供してくれた阿佐ヶ谷美術専門学校を代表して、同校の視覚デザイン・タイポグラフィの専任教員で、セミナー実行委員会のメンバーでもある小林チエさんが『阿佐美を自由に使うことができたのは全て小宮山先生のお陰です』と小宮山さんに感謝の意を述べ、小宮山さんが阿佐ヶ谷美術専門学校で教えていた時の、その恐ろしげな授業風景を紹介して会場の笑いを誘っていました。彼女にも実行委員会から花束が贈られました。

この日で最終回を迎えた「明朝体の教室」は、2010年12月に第一回目が開かれた「連続セミナー タイポグラフィの世界」の一環として開かれたたものでした。そして、この「明朝体の教室」の最終回をもって13年間続いた「連続セミナー タイポグラフィの世界」も幕を閉じたことになります。

「明朝体の教室」を含む一連の「連続セミナー タイポグラフィの世界」は連続講座実行委員会(小宮山博史・鳥海修・日下潤一・小沢一郎・浅妻健司・岩井悠・小林チエ・上杉望)と阿佐ヶ谷美術専門学校デザイン学科視覚デザインコースによって企画・運営されてきました。

阿佐ヶ谷美術専門学校が運営するギャラリー「人形町ヴィジョンズ」のホームページで「連続セミナー タイポグラフィの世界」の全プログラム (* 7) を見ることができます。


* 1) 小宮山博史(こみやまひろし)
書体設計士、書体史研究家。1943年東京生まれ。國學院大学卒業。
1971年佐藤タイポグラフィ研究所に入所し、書体研究家・佐藤敬之輔に師事する。
書体デザインの成果は、平成明朝体、中華民国国立自然科学博物館中国科学庁表示用特太明朝体、韓国サムスン電子フォントプロジェクトなどがある。
書体史研究の成果は、『日本語活字物語──草創期の人と書体』(誠文堂新光社)、『明朝体活字字形一覧─1829年~1946年─』(文化庁)などに見られる。
2010年竹尾賞デザイン評論部門優秀賞、2011年佐藤敬之輔賞受賞。
弊社サイトに「活字の玉手箱」を掲載。
https://www.dynacw.co.jp/fontstory/fontstory_komiyama.aspx

* 2) 鳥海修(とりのうみおさむ)
書体設計士。1955年山形県生まれ。多摩美術大学卒業。
1979年株式会社写研入社。1989年に有限会社字游工房を設立する。
ヒラギノシリーズ、こぶりなゴシック、游書体ライブラリーの游明朝体・游ゴシック体など、ベーシック書体を中心に100書体以上の書体開発に携わる。
2002年佐藤敬之輔賞、2005年グッドデザイン賞、2008年東京TDCタイプデザイン賞を受賞。
著書に『文字を作る仕事』(晶文社、日本エッセイスト・クラブ賞受賞)、『本を作る 書体設計、活版印刷、手製本──職人が手で作る谷川俊太郎詩集』(河出書房、共著)がある。
2022年1~3月には京都dddギャラリーで、個展「もじのうみ 水のような、空気のような活字」が開催された。

* 3) 桑山(桑山弥三郎/くわやまやさぶろう)
書体・ロゴタイプデザイナー。1938年新潟県生まれ。武蔵野美術学校卒業。
かな書体タイポス開発者の一人。1970年代に日本タイポグラフィ協会常任委員、後に佐藤敬之輔賞選考委員を務める。

* 4) 小沢(小沢一郎/おざわいちろう)
編集者。1957年生まれ。早稲田大学第1文学部卒業。
1980年、講談社入社。なかよし編集部、週刊現代編集部、Views(ヴューズ)編集部、学芸図書出版部、児童図書出版部で勤務し、雑誌、書籍の編集に携わる。2018年10月の定年退社後は、あいみょん三昧の日々を過ごしつつ、本の編集の仕事をしている。

* 5) 「明朝体の教室」の単行本
連続セミナー「明朝体の教室」が単行本になる計画が進行中。

* 6) 日下潤一(くさかじゅんいち)
グラフィックデザイナー。1949年香川県生まれ。
1974年~1976年渡米。帰国後、大阪にビーグラフィックスを設立し、1984年東京に移転。
装丁を手がけた書籍に『海峡を越えたホームラン』(関川夏生、双葉社)、『五体不満足』(乙武洋匡、講談社)、『孤独のグルメ』(久住昌之+谷口ジロー、扶桑社)などがある。雑誌では「芸術新潮」(1989年~2014年)、「小説現代」(2005年~20018年)などのアートディレクションを担当。
「印刷史研究会」を小宮山博史らと結成・運営、その成果は雑誌「印刷史研究」(全8冊)、書籍『タイポグラフィの基礎』(誠文堂新光社)などにまとめられている。

* 7)「連続セミナー タイポグラフィの世界」の全プログラム
https://visions.jp/b-typography/

タイトルの「ぬらくら」ですが、「ぬらりくらり」続けていこうと思いつけました。
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mk88氏

PROFILE●1942年東京都生まれ。1966年桑沢デザイン研究所ビジュアルデザイン科卒。設備機器メーカー、新聞社、広告会社を経て、総合印刷会社にてDTP黎明期の多言語処理・印刷ワークフローの構築に参加。1998年よりダイナコムウェア株式会社に勤務。Web印刷サービス・デジタルドキュメント管理ツール・電子書籍用フォント開発・フォントライセンスの営業・中国文字コード規格GB18030の国内普及窓口等を歴任。現在はコンサルタントとして辣腕を振るう。
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