ダイナフォントストーリー

カテゴリー:連載コラム「ぬらくら」
2022/12/23

ぬらくら第141回「活字と活字の表象」

一日の最低気温が零度以下になるという、日中でも手袋が欲しくなるくらい空気が冷たい11月の中旬、松本で「シリーズセミナー『書物と活字』」の第八回「活字と活字の表象」が開かれました。

第七回の「デザイン書道/講師・美登英利」 (* 1)が開かれたのは2021年7月ですから、一年四ヶ月ぶりの開催です。

主催はこのコーナーでもその活動を取り上げたことがある、松本市在住の若い文字好き・本好きたち有志のグループ「松本タイポグラフィ研究会」です。

講師はタイプフェイスデザイナーの味岡伸太郎 (* 2) さん、聴き手はこのシリーズセミナーでも講話されたことがあるグラフィックデザイナーの白井敬尚 (* 3) さん、会場はJA松本ハイランド松本市会館です。

味岡さんはセミナー告知のチラシの中でこう語っています。

『我々は、漢字、平仮名、片仮名、ときにはアルファベット、数字と、構成要素も画数も違う文字を使用して日本語を表記する。中国から漢字の渡来以来、約1500年をかけて、日本人は漢字仮名交じり文を創りだし磨いてきた。この漢字仮名交じり文は、それぞれの文字の性格の違いによって成り立っている。ならば、その伝統にならったタイプフェイスはどうあるべきか。1984年に発表した仮名書体「小町・良寛」以来、その課題の追求と実践の中から、必然的に派生したタイプフェイスとタイポグラフィを通して、文字の魅力と可能性が見えてくるだろう。しかし、タイプフェイスとタイポグラフィは目的ではない。人には表現したいことや、成すべきことがある。そのために、タイプフェイスやタイポグラフィが必要になるときがある。私の、ツールとしてのタイプフェイスとタイポグラフィ誕生の地平も、そこから見えてくるだろう。そのとき初めて、タイプフェイスとタイポグラフィは目的にもなり得ることに気づくだろう。』

セミナーは白井さんの導入トークで始まり、休憩を挟んだ14:00から18:00まで、味岡節が見事に炸裂しました。以下はその概要です。

文字に委ねる 1964ー2022

味岡さんは高校生の時に商業デザイン部に所属し文字の重要性に気づきます。そして日本の活字メーカー各社にかたっぱしから手紙を書いて活字見本帳を収集します。その中の一冊、日本活字工業の2号活字全文字の目録、「標準活字目録」が味岡さんが文字を書く時の手本になります。並行して漢和辞典を収集、出版社毎の書体の違いに気付き、それらを比較研究します。

書との出会い/書家・井上有一
その後、書(書道)の重要性にも気づき、1973年頃に書家の井上有一に出会って入門を希望しますが、味岡さんの悪筆を理由に入門を許されません。しかしアトリエへの出入りは許され、井上有一の書が無作為の結果であることを教えられます。

画家・山口長尾との出会い
次いで出会ったのが画家の山口長尾。山口長尾からは『自然が手本である。画家の仕事とは目に見える現象を描くのではなく、現象を作り出す風を描くことだ。』と教えられます。さらに味岡さんのその後の人生の指針となる言葉『片方に美術が作る斜面がある。もう片方にデザインが作る斜面がある。その斜面がぶつかる場所に山の稜線ができる。美術があることでデザインが大衆に迎合せずにすむ。デザインがあることで美術が大衆と遊離せずにすむ。その稜線の高みを歩け。どちらかに傾けば、お前は谷に落ちる。』を受けます。

味岡さんは創作時の方法論を次のように分類して、作品を示しながら紹介してくれました。

「委ねる形」
合成せずに合成する方法を追求する、素材を紙面にばら撒いてできた形を利用する、自分の意思を反映させることなく、機械的な手順を経て生まれた形を利用する、など、まさに無作為を実践していると言える。

「先ず文字を置く」
タイポグラフィの仕事では殆ど何も考えずに、初めに文章をスペースの真ん中に置いて、アクセントになるグラフィック要素を適当に紙面に散らして完成、画面構成という意図的なことはしない。

「自然の摂理」
彫刻家・飯田善國に出会ったときに『味岡伸太郎の制作の基本は、作為性の否定という立場を貫くことに置かれてきた。彼の目指す無作為性は、無作為性そのものが目的なのではなく、無作為性という態度を貫徹することで、自然の裡に匿されている法則性を見つけ出し、それをシステムとして体系づけるための方法としての無作為性なのである。』という言葉をもらう。今もデザインの仕事は無作為性を基本にしている。

味岡さんの書体作りの原点は「利得のためではなく、自分が使いたい、使える書体を作ること。自分が使えるものしか作りたくない」のだと語ります。「『経済』のためではなく『用』のためにつくるのだ、自分が作りたい書体ではなく使いたい書体を作るのだ」と何度も繰り返していました。

20分の休憩を挟んで話は具体的な文字作りの方法論に入っていきます。

「歴史の美意識に委ねる」
漢字かな混じり文が持つ日本人の美意識に忠実なタイプフェイスを作りたい、タイポグラフィをやりたいという思いから、小町と良寛が生まれた。その当時は明朝体とゴシック体しか書体がない時代、どうすれば書体を増やすことができるかを考えた時に、かなのデザインを漢字のデザインに合わせる必要はない、『漢字とかなは違うものなのだ』という観点に立って文字数の少ないかなを作り、使いたい書体を増やすということを考えついた。

「日本語書体の多様化」
そして、一つのファミリーに骨格の違うかながあってもいいと考えるに至った。一つの漢字に対していろいろな骨格のかなを合わせることができれば、タイポグラフィが豊かになると考えた。漢字を変えなくてもかなを変えることだけで、(漢字とかなは元々違う書体なので)漢字とかながマッチングしなくても構わないと考えれば、書体はいくらでも増やせる。元々タイプフェイスデザイナーではなかったので漢字をデザインする余裕がなかったということもあり、かなだけに注力することになった。当時は漢字とかなの組み合わせを変えるということをやる人はいなかった。
明治の頃の書籍の見出しには太いゴシックとその太さに合わせた明朝体のかな(アンチック体)を組み合わせている。これは、ひらがなをゴシック体で書くことに抵抗があったからなのではないか、漢字とかなは違う(別のもの)という認識があったのではないか。

「柳宗悦民芸との出会い」
『民衆的工芸、我々はそれを「民芸」と約言している。民衆の日常生活の用途ために、民衆によって作られた工芸品を言うのである。私たちはこの分野に来て初めてその「用」がその完き姿を現してくるのを目撃する。それはもはや「見るために飾られるために」犯されてはいない。または「個性のために」「利得のために」傷つけられてはいない。それは用を果たすために製作される。』という柳宗悦が民芸について語った言葉から、使うために作ると言うことを学んだ。

以下は味岡さんがスクリーン上で見せてくれた、タイプフェイスをデザインする時の、さらに具体的なヒントです。

・錯視からの書体制作
・水平垂直45度
・方眼紙の使用
・古典に委ねる
・自由=作為 制約=無作為
・意味に委ねる
・形に委ねる
・地域の美に委ねる

これらのヒントに基づいて作られた文字は「味岡伸太郎 書体講座 (* 4)」でも見ることができます。

休憩を挟んだ最後のセッションの冒頭で白井さんがマイクをとりました。
東京で仕事を始めていた白井さんは、1984年に「小町・良寛」の発表を知ります。そして、この書体が豊橋にいる味岡という人が作ったことを知り強い意外性を感じます。
豊橋ではデザインの仕事はできないだろうと考えて東京で仕事を始めた白井さんにとって、豊橋から新しいタイプフェイスが発表されたということが、当時の豊橋という土地柄からは想像できないことだったそうで、そのことについて大層驚いたと語っています。
その後、白井さんが帰省した時に、街の喫茶店のようなところで偶然に味岡さんに出会い、そこから交流が始まったという、二人の交流のきっかけが紹介されました。

『対象を分析し、そこから必要とされる要素を取り出し構成する』という白井さんのデザイン手法に対して、味岡さんは『無作為を旨とする』と言っています。白井さんは『何故それができるのか? それは嘗ての一時期、4年間毎日、平面に点を打つことを続けたという話があったが、そのこととの関連があるのか、教えてく欲しい。』と味岡さんに問いかけます。

味岡さんは『平面に点を打つことは無作為を習得するために始めたことだが、意識を無作為に向ければ向けるほど、周囲の小さな音が耳に入ってきてしまう結果になり、無作為になろうと思えば思うほど無作為からは遠のいてしまうことに気づくのに4年かかった、ということで、そのことに気づいてこの作業をやめた。その中で「直感に委ねる」という方法論に辿り着いた。』と返していました。二人のやりとりを聞いていて、この4年間の鍛錬があったからこそ、直感に委ねることができるのだろうと感じました。

この最後のくだりは何やら禅問答のようでしたが、直感に委ねるデザインの実例をスクリーン上に示しながら解説してくれました。

味岡さんの話は時間がいくらあっても足りないくらい多岐に渡り、予定されていた時間は本当にあっという間に過ぎてしまいました。

* 1) 第七回「デザイン書道/講師・美登英利」
ぬらくら第124回「デザイン書道入門」はこちら

* 2) 味岡伸太郎(あじおかしんたろう)
1949年、豊橋市生まれ。タイプフェイスデザイナー、書家、グラフィックデザイナー、平面・立体造形家、華道家、陶芸家、編集者、家具・建築デザイナー。
1984年、かな書体「小町・良寛」をデザイン。自作のタイプフェイス及び関係した書体で、全てのグラフィックデザインを制作。2018年、見出し明朝体「味明」2種と仮名10種を制作。これまでに漢字と仮名書体合わせて約150書体を発表。2001年、郷土の記録を残すため、出版社「春夏秋冬叢書」設立。並行して国内外のギャラリー、美術館で現代美術作品を発表。

* 3) 白井敬尚(しらいよしひさ)
1961年愛知県生まれ。グラフィックデザイナー。株式会社グレイス(宮崎利一チーム、1981―87年)、株式会社正方形(清原悦志主宰、1987―98年)を経て、1998年白井敬尚形成事務所を設立。タイポグラフィを中心としたグラフィックデザインに従事している。2012年より武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科教授。
主なデザインワークにヤン・チヒョルト著『書物と活字』朗文堂1998年、印刷博物館「ヴァチカン教皇庁図書館展」Vol. 1 2002年、同Vol. 2 2015年 凸版印刷、『欧文書体百花事典』朗文堂 2003年(共著・編集)、片塩二朗著『秀英体研究』大日本印刷 2004年など。主な著作に「日本の活字版印刷を支えたアメリカの活字版印刷」『日本の近代活字 本木昌造とその周辺』近代印刷活字文化保存会2003年(共著)、「タイポグラフィ 言語造形の規格化と定数化の軌跡」『言語社会2』一橋大学大学院言語社会研究科2008年(共著)、「活字とグリッド・システム―ブックフォーマットの形成」『文字講座』誠文堂新光社2008年(共著)など。

* 4) 味岡伸太郎 書体講座
味岡伸太郎:著 春夏秋冬叢書:発行 2018年

タイトルの「ぬらくら」ですが、「ぬらりくらり」続けていこうと思いつけました。
ぬらくらは、ダイナフォント News Letter(ダイナコムウェア メールマガジン)にて連載中です。
いち早く最新コラムを読みたい方は、メールマガジン登録(Web会員登録)をお願いいたします。
メルマガ登録はこちら
 
ダイナコムウェア コンサルタント
ダイナコムウェア株式会社
コンサルタント
mk88氏

PROFILE●1942年東京都生まれ。1966年桑沢デザイン研究所ビジュアルデザイン科卒。設備機器メーカー、新聞社、広告会社を経て、総合印刷会社にてDTP黎明期の多言語処理・印刷ワークフローの構築に参加。1998年よりダイナコムウェア株式会社に勤務。Web印刷サービス・デジタルドキュメント管理ツール・電子書籍用フォント開発・フォントライセンスの営業・中国文字コード規格GB18030の国内普及窓口等を歴任。現在はコンサルタントとして辣腕を振るう。
Blog:mk88の独り言

月刊連載ぬらくらバックナンバー
連載にあたっておよび記事一覧
ぬらくら第127回はこちら
ぬらくら第128回はこちら
ぬらくら第129回はこちら
ぬらくら第130回はこちら
ぬらくら第131回はこちら
ぬらくら第132回はこちら
ぬらくら第133回はこちら
ぬらくら第134回はこちら
ぬらくら第135回はこちら
ぬらくら第136回はこちら
ぬらくら第137回はこちら
ぬらくら第138回はこちら
ぬらくら第139回はこちら
ぬらくら第140回はこちら