ダイナフォントストーリー

カテゴリー:連載コラム「ぬらくら」
2022/10/19

ぬらくら第138回「松本文字塾」

2022年7月XX日(土)。
新宿駅09:00発の<あずさ9号>に乗ると11:39に松本駅に着きます。
今日のランチ確保のために茅野駅を過ぎた辺りで列車のデッキから「まつ嘉」に電話をすると『今日のうなぎは売り切れました』と言うつれない返事、11時過ぎで未だ店は開いていないのに……。

松本駅到着。
お城口の外に出ると、足元の影は自らの頭を踏むほど短く濃く、路面の照り返しが目を射て開けていられないくらい、麦わら帽子が欲しくなります。
土用の丑の日にうなぎを食べ損なってしまったこともあって、松本でのランチはうなぎにしたかったのです。
当てにしていた「まつ嘉」に振られてしまったので、駅前の飲食店街で見つけた「うなぎ寿司しき美」の看板に惹かれて暖簾をくぐりました。
ここのうなぎは蒸さずに焼き上げた関西風、カリンと焼かれた皮に絡んだタレは少し甘めでした。

もちろん松本にはうなぎを食べにきたわけではなく、今年の4月から毎月末、松本で開かれている「松本文字塾」への潜入を許されての松本入りです。
13:00に始まる文字塾は女鳥羽橋(めとばばし)のすぐ近くにある「マツモトアートセンター」で開かれます。
二階の教室には既に塾生が数名と見知った顔の松本タイポグラフィ研究会 (* 1) のメンバーが数名顔を見せています。
松本タイポグラフィ研究会のメンバーは松本文字塾の世話係を買って出ているようです。

やがて塾長の鳥海修 (* 2) さんもやってきました。塾生も揃ったようです。
定刻の13:00、文字とは関係のない塾長の昨今四方山話でユルユルと始まりました。
この辺り、さすが文字塾を主宰して十年の塾長、話はいつの間に文字の話になっています。

松本文字塾は第一期、今日はその第四回です。
第三回までの塾講を受けてきた塾生たちの机の上には、塾長から渡されたひらがなの手本を元に、塾生たちが鉛筆書きしてきた「ひらがな五十音」が並ぶ方眼紙がドサッと置かれています。
塾生達の習作はA4判方眼紙に縦一行に同じ「ひらがな」を9文字、横には「あいうえお」と順に12文字で埋まっています。

一文字は2センチ四方の中に書かれています。この<繰り返し手書きする>ということが大切なのでしょう。

塾長は塾生一人一人の机を周ってその習作を一枚一枚手に取り、一文字一文字見て回ります。塾長は決して『このようにしなさい』とは言いません。
塾生と言葉を交わしながらその塾生が探している形を導き出そうとしています。

ときには塾長自らがホワイトボード上にマーカーで「あ」や「い」、「ふ」を書きながら、常に筆脈を意識してデッサンすることの重要性を説きます。
そして塾長が永年の文字作りの経験から体得された原則的な『こうした方がより良い』というヒントが示されます(筆脈とは実際には繋がっていない画と画のつながりのこと)。

途中十五分ほど休憩時間を挟んで塾生達の習作に対する塾長のコメントは続きます。
そこには時間が止まってしまったような空気が流れ、気づけば既に塾講終了時間の17:00を回っています。

塾長も塾生もまだまだ時間が欲しいという顔をしています。

塾生は方眼紙の習作上に塾長のコメントを小さな字で書き込んでいます。これが塾生達の宝になるのだと思いながら塾生たちの手元を見ていました。

書体設計士の鳥海修さんが主催する文字塾は2012年に始まりました。
一年をかけて各自がオリジナルの仮名(平仮名、片仮名)をつくり、フォント化して、その成果を展示会で発表するという塾です。
塾生は十名余りで、塾は毎月一回、一年で12回開かれます。

文字熟は2019年の第八期まで、毎年順調に開かれてきました。
2020年に開かれるはずだった第九期文字塾はCOVID-19の影響で、開催が2021年に延期されました。
しかしCOVID-19の影響は収まらず2022年まで再延期、受講を待ちわびる塾生の落胆ぶりは大きなものでした。
そんな中、塾長も長野県に移住するなど文字塾を取り巻く環境も変化し、塾の名称を「松本文字塾」とし、開催地を松本に変更しての再開です。

開催地が東京から松本に変更になったにもかかわらず、松本文字塾に参加した塾生は東京から10名、京都から1名、大阪から2名、横浜から1名、松本から1名、塩尻から1名、台湾から1名、中国から1名の合計18名です。
この中には文字塾第九期を受講する予定だった人も複数いると聞きました。今までの文字塾の塾生は10数名だったことを思うと、塾長の負担はかなり増えているはずですが、そこにも塾長の『書体設計』を伝えていきたいという熱い思いが伝わってきます。

感染症拡大が騒がれる中、薄氷を履む思いで再開されたと聞く松本文字塾第一期、塾長にとって時間はいくらあっても足りないでしょう。
熱心な塾長とそれに応える塾生の姿を見ると応援したくなります。

松本文字塾は感染症拡大防止のための換気・手の消毒・マスク着用で開かれていることを書き添え、情熱を持って学ぼうとする次の世代を担う人たちの、学ぶ機会が損なわれることがないようにと願うばかりです。

* 1) 松本タイポグラフィ研究会
松本市でタイポグラフィに関するセミナーやワークショップを開催している地元有志によるタイポグラフィ研究会。
▼松本タイポグラフィ研究会 公式サイト
URL:http://matsumototypography.jpn.org/

▼当ぬらくらコーナーでもその活動の一部を紹介している。
・ぬらくら第105回「松本タイポグラフィ研究会」はこちら
・ぬらくら第124回「デザイン書道入門」はこちら

* 2) 鳥海修(とりのうみ おさむ)
書体設計士。
1955年 山形県生まれ。多摩美術大学卒業。
1979年 株式会社写研入社。1989年 有限会社字游工房を設立。
ヒラギノシリーズ、こぶりなゴシック、游書体ライブラリーの游明朝体・游ゴシック体などのベーシック書体を中心に100書体以上の書体開発に携わる。
2002年 佐藤敬之輔賞、2005年 グッドデザイン賞、2008年 東京TDCタイプデザイン賞を受賞。
著書に『文字を作る仕事』(晶文社、日本エッセイイスト・クラブ賞受賞)、『本をつくる 書体設計、活版印刷、手製本 ── 職人が手でつくる谷川俊太郎詩集』(河出書房新社、共著)がある。
2022年1月から3月には京都dddギャラリーで、個展「もじのうみ 水のような、空気のような活字」が開催されている。

タイトルの「ぬらくら」ですが、「ぬらりくらり」続けていこうと思いつけました。
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ダイナコムウェア コンサルタント
ダイナコムウェア株式会社
コンサルタント
mk88氏

PROFILE●1942年東京都生まれ。1966年桑沢デザイン研究所ビジュアルデザイン科卒。設備機器メーカー、新聞社、広告会社を経て、総合印刷会社にてDTP黎明期の多言語処理・印刷ワークフローの構築に参加。1998年よりダイナコムウェア株式会社に勤務。Web印刷サービス・デジタルドキュメント管理ツール・電子書籍用フォント開発・フォントライセンスの営業・中国文字コード規格GB18030の国内普及窓口等を歴任。現在はコンサルタントとして辣腕を振るう。
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