ダイナフォントストーリー

カテゴリー:連載コラム「ぬらくら」
2022/05/26

ぬらくら第133回「柿の木」

千葉県の印旛沼のほとり、飯野の地に馬頭観音という朽ちるに任せたような古い観音堂があります。

その観音堂からわずか数分のところにはぬらくら子の母の実家があり、今も航空サービス業界を引退した従兄弟夫妻が守っています。

観音堂の正面、向拝の裏側には色も褪せ絵の具も剥げ落ちた「六歌仙」や「四十七士の討ち入り」の様子を描いた大きな額がかかっています。

お堂正面の参道は印旛沼を見下ろす急な石段に続いています。石段は見下ろすと足元が揺らぐくらい急で、子供の頃に数えた記憶では百九段あったはずです。

この石段と観音堂の境内は集落の子供達の遊び場でした。
夏は、遊び疲れるとこの石段に腰かけ、何をするでもなく印旛沼を見下ろし、吹き上げてくる風にあたります。

観音堂の左手には樹齢400年を越すと説明された、一本の木にマキ、ケヤキ、クロマツ、スギが共棲した珍しい木が立っています。今は佐倉市の保存樹になっています。

百九段の石段の上り口に立てられた簡単な説明板は次のように告げています。

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馬頭観世音菩薩(東徳寺)
「飯野観音」で知られるこの寺は、飯野山と号し真言宗大聖院の末寺である。
寺の創建等は詳らかではないが、過去帳によれば、元禄十六年(1703年)法印良快をもって中興の祖とし、本堂は文化二年(1805年)法印快盛の代の建立である。
この馬頭観世音菩薩は領内農民の農馬愛護の為、信仰されていた。
さらに常夜灯等から佐倉藩士、殊に馬術に関係ある士に信仰され、参詣された霊場であったことが明らかである。
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東福寺は観音堂の左手奥の今は無住職の小さな寺堂で、酒々井の酒「甲子政宗」が好きだった今は亡き叔父がずっと手入れをしていました。

1969(昭和44)年に印旛沼開発事業(印旛沼干拓事業)が完成する前は、母の実家の庭先から印旛沼に続く水路があり、垣根には田舟がもやってありました。
傍の大きな柘榴の木が付けた赤い腹を見せた実をもぎって、酸っぱい粒々を口に含み種を連射して遊んだのを想い起こします。

当時、叔父・叔母たちは未だ独身で、ここではただ一人の子供だったぬらくら子の朝の仕事は煤けたランプのホヤを綺麗にすることでした。
ランプは五、六台あったでしょうか、ガラスのホヤの内側を綺麗にするには子供の手の大きさが丁度よかったのでしょう。

二人の叔父に飯野と臼井を繋ぐ竜神橋の辺りまで田舟で連れて行かれ、沼に放り込まれて泳ぎを仕込まれた記憶も蘇ります。今なら児童虐待だと言われそうです。

実家の門の脇には門柱がわりの大きな椎の木が立っていました。
この木の幹から母家の奥の納屋の軒先まで、庭の上を五十メートル余り大人の背丈より少し高い位置に太い針金が渡してあり、その針金を通した金輪に大型のシェパードの雑種犬が繋がれていました。
門に人の気配があると繋がれている針金を『シャーッ』と鳴らして門まで走り出るのですが、吠えることの少ない犬でした。

秋の風の強い夜が明けると、門の周辺は椎の木から落ちた小さな黒い実が庭を覆います。ザル一杯に拾い集めた実は叔母が焙烙(ほうろく)で炒ってくれました。

この高い椎の木に登っても叱られなかったのに、何故か柿の木には登るなとキツく言われていました。

実家の門の前から観音堂がある丘陵の西側に上っていく、深い雑木林を切り開いた薄暗い切り通しがあります。

晴れている日でも陽が差し込まないこの細い切り通しは、気をつけないと滑るほど何時もジメジメとぬかっていました。

この坂道の中程に黄土色をした粘土層があり、よく叔母たちに言い付けられてこの粘土を採りに行きました。叔母たちはその粘土を髪の毛を洗うのに使っていました。
子供の頃は髪の毛を洗うのになぜ粘土なのか、不思議に思っていましたが、今は「クレイ・ソープ」などと呼ばれてネットショップなどで売られているようです。

切り通しを登り切ると、右手は一面の畑で夏はマクワウリやスイカの畑です。左手は十数本の柿の木が植えられた柿の木畑でした。

何処からどう見ても椎の木より柿の木の方が登りやすい枝の張りようです。
この時は同じ集落の遊び仲間と一緒だったのか、それとも一人だったのか、幹に取り付き一番低い枝に手をかけ、気づけば禁断の柿の木の上です。

次の瞬間、体はまたがっていた枝と一緒に背中から地上に逆戻り、土の上とはいえ息がつまってヒドク苦しかったのを覚えています。
目立った怪我をしなかったのは畑の土が柔らかく、体も軽く、本人が体感したほどの高さまで登っていなかったのが幸いしたのでしょう。

『登っては行けない』というのはこのことだったのか、柿の木の枝はとても折れやすかったのです。

これは、ぬらくら子が子供の頃、母の実家に預けられていた時のホロ痛い思い出です。このことがあって以来、再び柿の木に挑戦することはありませんでした。

タイトルの「ぬらくら」ですが、「ぬらりくらり」続けていこうと思いつけました。
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ダイナコムウェア コンサルタント
ダイナコムウェア株式会社
コンサルタント
mk88氏

PROFILE●1942年東京都生まれ。1966年桑沢デザイン研究所ビジュアルデザイン科卒。設備機器メーカー、新聞社、広告会社を経て、総合印刷会社にてDTP黎明期の多言語処理・印刷ワークフローの構築に参加。1998年よりダイナコムウェア株式会社に勤務。Web印刷サービス・デジタルドキュメント管理ツール・電子書籍用フォント開発・フォントライセンスの営業・中国文字コード規格GB18030の国内普及窓口等を歴任。現在はコンサルタントとして辣腕を振るう。
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