ダイナフォントストーリー

カテゴリー:連載コラム「ぬらくら」
2022/03/18

ぬらくら第131回「どこから来たの、明朝体?(その二)」

このコーナーの第3回「どこから来たの、明朝体? (* 1)」で『真性活字中毒者読本』 (著者:小宮山博史・府川充男・小池和夫、柏書房 2001年刊)を参考に「明朝体」が いつからそのように呼ばれるようになったのかについて取り上げました。

小宮山博史さんは『真性活字中毒者読本』の中で次のように書いています(214-215頁)。

『「明朝体」という固有名詞の名称が出てきたのがいつかは僕もよくわかりません。
色んな説があるんですが、ちゃんとした記録の中に出てくるのは明治八年くらいの「東京日日新聞」の記事だと思うのですが、本木昌造が死んだという記事が掲載され、その中に「明朝風」、「風」と書いてある。明朝体という名前が付けられたのは、明朝という活字書体の他に別の書体が出てきたために、名前をつけるしかなかったんでしょう。ですから自分と異なるものがあったとき、必要あって差別化するということだと思うんです。
それは多分明治十年代ではないでしょうか。しかし正確なところ何年頃かよくわかりません。』

ここでは「東京日日新聞」の記事が明治8年のいつの記事だったのかまでは言及されていません。
小宮山さんは明治十年代に明朝という呼称が定着したのではないかと推測しています。

その後、このことに関する研究が進んだのでしょう、2020年にグラフィック社から刊行された『明朝体活字 その起源と形成』(著者:小宮山博史)には以下のように書かれています(254-255頁)。

『明朝体が書籍・雑誌・新聞を組む主要な活字書体として登場したのは明治初年のことです。
東京日日新聞明治八(一八七五)年九月五日号「雑報」にある本木昌造追悼記事の中に「明朝風」という言葉が使われていますので、これが最初ではないかと勝手に思っているのですが、確証はありません。』

今年(2022年)の1月17日に内田明 (* 2) さんが明朝という呼称の初出を、 ご自身のブログで1836(天保7)年まで辿った研究成果を発表されています。

内田明さんはブログに《幕末に池田草庵と松崎慊堂が「明朝」と呼んだ刊本字様》(* 3) というタイトルに続いて、次のように書き出しています。

『私たちがいま「明朝体」と呼ぶ活字書体(印刷文字の書体・字様)の日本におけるルーツは黄檗山萬福寺で天和元年〈1681〉に開版された鉄眼版一切経であると言われていて、この印刷文字書体は日本でかれこれ340年ほど使われています。』

そして、ここから上に紹介した小宮山博史さんの論に触れた上で「活字の話題に限定せずに当時の新聞や雑誌の記事や広告にも注意を向け、宮武外骨 (* 4) の『文明開化・二・広告篇』で翻刻されている明治8年2月9日付の郵便報知新聞に掲載されている「訳書彫刻等の請負」広告の中に『版下明朝様十行廿字片仮名雑 一葉金十銭』とあるのを見つけた」と図版を添えて書いています。

つづいて、佐々謙三郎(1832-1916。楠本碩水のこと。幕末明治時代の儒学者)と池田禎蔵(1813-1878。池田草庵のこと。江戸時代末期の儒学者)が交わした書簡の中にも「明朝様」と書かれていることを見つけたことが記されています。

この論文はまだまだ続きます。
果たして「明朝」という呼称がどの様な文脈の中で使われていたのか、ぜひオリジナルの記事を読んでみてください。

* 1) どこから来たの、明朝体?
https://www.dynacw.co.jp/fontstory/fontstory_detail.aspx?s=38

* 2) 内田 明(うちだ あきら)
十九世紀日本の文を綴る字と描き文字、板本の文字、初期活字書体の関係や、活字規格の日本化の過程などに興味を持つ書体史研究家。独立研究者連盟所属。

* 3) 幕末に池田草庵と松崎慊堂が「明朝」と呼んだ刊本字様
https://uakira.hateblo.jp/entry/2022/01/17/195623

* 4) 宮武外骨(みやたけ がいこつ)
1867-1955。日本のジャーナリスト、著作家、新聞史研究家、明治期の世相風俗研究家。

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ぬらくら 第130回のクイズの答え
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前回のぬらくらコーナー(第130回)で出したクイズは次のようなものでした。

【問題】次の文はどんな意味でしょう?

“Oh, my much much care no thought."

【答え】上の文を英語として読み、それぞれの音に漢字と仮名を当てます。

『お前 待ち 待ち 蚊帳 の 外』
(オー・マイ・マッチ・マッチ・ケァ・ノゥ・ソゥト)

これが答えです。

意味深長な一句ですが江戸末期に流行した俗謡の一節です。
『♪お江戸日本橋 七つ発ち~』で始まる「お江戸日本橋」と同じ節回しで歌われたようです。

落語家の文楽や志ん朝が演じた古典落語「愛宕山」でも、この一節を聞くことができます。

 ♪お前待ち待ち蚊帳の外 蚊に喰われ 蚊に喰われ
  七つの鐘の鳴るまでも コチャエ~ コチャエ~

タイトルの「ぬらくら」ですが、「ぬらりくらり」続けていこうと思いつけました。
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ダイナコムウェア株式会社
コンサルタント
mk88氏

PROFILE●1942年東京都生まれ。1966年桑沢デザイン研究所ビジュアルデザイン科卒。設備機器メーカー、新聞社、広告会社を経て、総合印刷会社にてDTP黎明期の多言語処理・印刷ワークフローの構築に参加。1998年よりダイナコムウェア株式会社に勤務。Web印刷サービス・デジタルドキュメント管理ツール・電子書籍用フォント開発・フォントライセンスの営業・中国文字コード規格GB18030の国内普及窓口等を歴任。現在はコンサルタントとして辣腕を振るう。
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