連載コラム
2012年01月06日

ぬらくら 第16回 香寺詣で(1)

カーテンの向こうで屋根を打つ強い雨音で目が覚めたようです。
ベッドから抜け出してカーテンを引くと、空を覆う厚い雲から一粒ずつが見えるほどの雨粒が強風に煽られてトタン屋根を叩いています。
朝からスコールです。
身支度をしてバインクオン(Banh Cuon)の朝食を済ませ、ロビーで待っていると約束の時間通り8時過ぎにツアーガイド氏が迎えに来ました。
流れる川のように途切れることなく走って来るバイクの切れ目を小走りにすり抜けて、ホテルからワンブロックほど離れた路上に停めてある小型バスに乗り込みます。
バスには未だ四人連れの家族が一組乗っているだけでした。
小型バスは周辺の旅行代理店数軒に立ち寄って、今日の一日ツアーに参加する旅行者をピックアップして回ります。
隣の席の四人連れの家族に声をかけると、ホーチミン市から来たベトナム航空のパイロット一家でした。
他にスペインから来ている若いカップルが二組、イタリアから来たというこれも若いカップルが一組、一人旅の私を入れて11人がツアーの参加者です。
バスはハノイ中心部から60キロメートル余り南に下ったチェンボン(Thien Bong)を目指します。
市街地を外れると窓の外にひたすら青々とした水田が続きます。
走ること一時間半、目的地に近づいて来たのでしょうか、水田の向こうに見えている山並みの陰がだんだん濃くなってきます。
窓の外を眺めるのにも飽きた頃、バスは玉砂利が敷き詰められた駐車場に入りました。
チェンボン到着です。
バスを降りると周囲には赤い錆止めが塗られた平底の川舟がいく山も積み上げられています。
駐車場から数分離れたところに、駐車場で見たのと同じ川舟が何杯も集まっている舟着場があります。
ここから6人乗りの川舟に乗ります。
舳先を舟着場に向けているだけの船は、乗り込む時に川に落ちる人が出るのではないかと思うくらいひどく揺れます。
私たちが乗った舟の漕ぎ手は白いブラウスにノンラー(ベトナムの菅笠)を被った30歳くらいの女性です。
これから遡る川がイエン川(Yen River)、香寺へと続きます。
ようやく舟に腰を落ち着けると、舟も揺れるのを止めて上流に向けて滑り出しました。
岸の奥の方で犬が吠えています。
岸辺では足下を川に浸けて四人がかりで網を引き上げている人達がいます。
一人は肩まで川に浸かって網の端を絞っているようです。
どんな魚が捕れるのでしょう?
いつの間に川の両側から人家が無くなっています。
岸辺の緑と両岸に迫る小さな山と白い雲が浮かぶ空を映すだけの、鏡のような川面に響くのは『ギィー、ギィー』という艫で鳴る艪の音だけです。
透けて見える川底では水草が緩い流れにうねり、川辺にはしぼみかけている蓮の花が浮いています。
舟はさらに近づいてきた山並みに向かって進んで行きます。
イエン川にはなぜかエンジンを付けた舟が走っていません。
周囲はあいかわらず艪が水を切る音と絶え間なく聞こえる虫の声(鈴虫の鳴き声にそっくりですがその数は圧倒的でした)、 たまに聞こえてくる鳥の鳴き声しかありません。
後は静寂そのものです。
どこまでも舟を追ってくる虫の声と共にイエン川を遡ること1時間半、ベントロ(Ben Tro)に到着しました。
鏡のような水面、艪と水の音、虫の声、手漕ぎの舟で遡る一時間半のこの世界だけでもこのツアーに参加する価値はあります。
ここまでの一時間半、舟の漕ぎ手は一休みもせず無駄口をきくこともなく黙々と漕ぎ続けてきました。
物静かで忍耐強いと言われるベトナム女性の典型を見た思いです。
ベントロの舟着場を見回すと殆どの舟の漕ぎ手は女性でした。
ベントロ(Ben Tro)で舟を下り、ここから香寺(チュアフォーン/Chua Huong)を目指します。
川面にしつらえられた大人一人分の幅しかない桟橋から岸に上がります。
舟着場を上がった所にある大きな休憩所(茶屋のようなものでしょうか)で昼食になりました。
香寺(チュアフォーン/Chua Huong)というのは一つの寺院のことではなく、ベントロの奥一帯の香山(Huong Son)に散在する大小13ある寺院の総称です。
休憩所の横にある広い石段を登り切ったところに古い石の門が建っていました。
門の上に「南門天」と刻まれているのが読めます。
門の中を見たいのですが後で寄ることにして、南門天の横にあるロープウエイ乗り場に向かいます。
ここから目的の寺院、持参したガイドブックでは香寺と紹介しているフォーンチク(Dong Huong Tich)まで山道を徒歩で登って行くと1時間半かかるそうですが、ロープウエイを利用すればわずか10分余りです。
ロープウエイを下りて石段を登って行くと土産物売り場に並んで古い小さな石の門が建っています。
門には磨り減っていますが「香跡■門」と刻まれていました(■は山冠に同)。
この門が香寺の一つ、フォーンチク(Dong Huong Tich)への入り口です。
門をくぐると足下が悪い長くて急な石段です。
角が丸く磨り減った石段は辺りに立ちこめた霧のせいで濡れて滑りやすくなっています。
中程で直角に曲がった石段は数えながら下りたわけではありませんが、ガイドブックによると120段あるそうです。
周囲の木々からはひっきりなしに水滴が落ちてきます。
石段の曲がり角で一息ついて顔を上げると、間口が50メートルはありそうな大きな洞窟が目の前に現れます。
この突然さにはインパクトがありました。
洞窟の入り口周辺はむせるような線香の煙と濃い霧が混じりあって霞んでいます。
フォーンチクは鍾乳洞の中に造られた寺院、洞窟寺でした(次号につづく)。

タイトルの「ぬらくら」ですが、「ぬらりくらり」続けていこうと思いつけました。
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  著者 Information

著者
ダイナコムウェア コンサルタント
mk88氏

PROFILE●1942年東京都生まれ。
1966年桑沢デザイン研究所ビジュアルデザイン科卒。
設備機器メーカー、新聞社、広告会社を経て、
総合印刷会社にてDTP黎明期の多言語処理・印刷ワークフローの構築に参加。
1998年よりダイナコムウェア株式会社に勤務。
Web印刷サービス・デジタルドキュメント管理ツール・電子書籍用フォント開発・
フォントライセンスの営業・中国文字コード規格GB18030の国内普及窓口等を歴任。
現在はコンサルタントとして辣腕を振るう。
Blog:mk88の独り言

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