ダイナフォントストーリー

カテゴリー:連載コラム「ぬらくら」
2021/12/03

ぬらくら第128回「それはジャスだった」

雨上がりの未だ黒く濡れた鋪道にはイチョウの落ち葉が街灯の灯りを受けて重なり、テラスの丸テーブルの上ではグラスのワインが赤紫色に揺れている。
店の奥からかすかに漏れてくるピアノの音……。

こんなシチュエーションなら、かすかに流れてくる音楽はどうしたってジャズです。
ここは、ビル・エヴァンス(Bill Evans、1929-1980)のマイ・フーリッシュ・ハート(My foolish heart)かブラッド・メルドー(Brad Mehldau、1970-)のアンド・アイ・ラブ・ハー(And I love her)辺りが流れてくるとピッタリなのではないでしょうか。

ジャズ(jazz)は十九世紀末から二十世紀初頭にかけて、米国ルイジアナ州ニューオーリンズのアフリカ系アメリカ人のコミュニティで生まれた、ニューオーリンズ・スタイルと呼ばれる音楽が源流だとは、よく言われることです。

1890年代、ニューオーリンズ・スタイルが起こる前はラグタイム(ragtime)と呼ばれる音楽が演奏されていました。
ヨハン・シュトラウスやフランツ・リストなどから強い影響を受けた、作曲されたピアノ音楽です。

ラグタイムの故郷は皮肉なことにニューオーリンズではなくミズリー州のセダリアです。
そこに住んでいたのがラグタイムの代表的な作曲家でピアニストのスコット・ジョプリン(Scott Joplin, 1867か1868-1917)でした。

鉄道の敷設工事が進む中、工事に従事した労働者の飯場ではラグタイムが盛んに演奏されました。
その音楽は飯場にとどまらず、前述のセダリアに始まり、カンサス・シティ、セントルイス、メンフィス、ダラスその他、至るところで演奏されるようになります。

作曲されたラグタイムを譜面という制約から解放して、そのメロディーをより自由に演奏した最初のミュージシャンの一人にジェリー・ロール・モートン(Jelly Roll Morton、1890-1941)がいます。ニューオーリンズ・スタイルは彼とともに始まったと言ってもいいでしょう。

ニューオリンズ・スタイルの音楽は、それまでのブラスバンドのマーチ、フランスのカドリール(quadrille/* 1)、ビギン(biguine/* 2)、ラグタイム、ブルース(blues)、さらには対位法 (* 3) による即興演奏を加えて、徐々に変化していきます。

1910年代になると、ニューオーリンズに白人のジャズ演奏家が現れます。パパ・ジャック・レイン(Papa Jack Laine、1873-1966)です。
「白人ジャズの父」と呼ばれた彼は自身のバンドを持ち、バンド・ワゴンに乗ったり隊列を組んで街中を練り歩きながら演奏していたそうです。

ニューオーリンズで最初に成功したバンドに「オリジナル・ディキシーランド・ジャス・バンド(Original Dixieland Jass Band)」があります。
バンドの名前が “Jazz" ではなく “Jass" であることを覚えておいてください。
このバンドも白人のバンドでした。ディキシーランドまたはディキシーは米国南部の諸州を指す通称です。

1920年代に入るとニューオーリンズのミュージシャンはこぞってシカゴを目指します。
1917年にアメリカが第一次世界大戦に参戦したことで、ニューオーリンズの港が軍港になります。
その当時、ニューオーリンズの一角、ストーリーヴィルには公娼街があったのですが、出征兵の士気に影響すると考えた軍によってこれが閉鎖されます。

公娼街が閉鎖されて職を失ったのは公娼達だけではありませんでした。
数百人はいたというミュージシャン達も職を失い、その大部分がシカゴを目指しました。

当然シカゴの音楽シーンは盛んになります。

当時のシカゴのジャズ・シーンで最も活躍した演奏家の一人にジョー・キング・オリヴァー(Joe "King" Oliver、1885-1938)がいます。
同じ頃にルイ・アームストロング(Louis Armstrong、1901-1971)もシカゴで演奏活動を始めています。

第一次世界大戦(1914-1918)の後に蓄音機が急速に普及したことを受けて、シカゴのレコード産業界はニューオーリンズ・ジャズのレコード盤制作で大いに潤ったといいます。

シカゴの白人の高校生や大学生などのアマチュア・バンドがニューオーリンズ・ジャズの巨人達の演奏を模倣しますが、そうした中から新しいスタイルが誕生します。
シカゴ・スタイルです。ビックス・バイダーベック(Bix Beiderbecke、(1903-1931)はその中心的な存在でした。

ブルースは十九世紀の中頃には既に素朴な形で存在していましたが、これがシカゴでジャズの世界に流れ込みます。
以降、ブルースはジャズと深い関わりを持つようになります。この時代の代表的なブルース歌手にベッシー・スミス(Bessie Smith, 1894-1937)がいます。

1930年代はアメリカの禁酒法時代(1920-1933)と重なります。

当時、ミズーリ州カンザスシティに、その市政のみならず多方面にわたって強い影響力を持っていたのが、実業家トム・ペンダーガスト(Thomas Pendergast,1873-1945)でした。

彼の庇護の下、違法営業していたナイトクラブには数多くのジャズ・バンドが出演しています。
そうした中にはカウント・ベイシー(Count Basie、1904-1984)やチャーリー・パーカー(Charlie Parker、1920-1955)達もいて、カンザスシティ・ジャズ(Kansas City jazz)が花開きます。

やがてジャズの拠点はカンザスから音楽産業が集中しているニューヨークに移ります。そして、ニューヨークからスイングが誕生します。

スイング時代の大きな特徴はベニー・グッドマン(Benny Goodman、1909-1986)楽団を代表とするビッグ・バンドの発達と繁栄です。
スイングとはベニー・グッドマンのあの演奏スタイル、メロディックな分かりやすさと明快なイントネーションそのもののことです。
スイング・スタイルはキッチリとアレンジされたダンス向きの演奏スタイルで、商業的にもかつてないほどの成功を収めます。

商業的に大成功したスイングは当然の結果としてマンネリズムに陥ります。

1940年代に登場したビバップ(bebop)は、マンネリズムに陥ったスイング・スタイルを打破するようにして生まれたスタイルです。
ビバップは、ジャズをダンス向きのポピュラー・ミュージックから、より速いテンポで演奏される、コード(code/和音)を使った即興演奏を多用した、より挑戦的な「ミュージシャンの音楽(演奏する者の音楽)」へと変化します。

ビバップの語源には諸説あるようですが、「喧嘩」や「ナイフを使った喧嘩」を意味するスラングに由来していると言われています。

ビバップはモダン・ジャズの原型になるのですが、その創成期にはチャーリー・パーカーやディジー・ガレスピー(Dizzy Gillespie、1917-1993)が大きな足跡を残しています。

1940年代の後半になると、ビバップの飛び跳ねるような落ち着きのない演奏から、静かでスムーズな演奏をするミュージシャンが出てきます。
その一人が、マイルス・デイビス(Miles Davis、1926-1991)です。
1945年、当時19歳だったマイルスは後にクール奏法と言われるスタイルで演奏を始めています。
クール・ジャズ(cool jazz)はここから始まったと言ってもいいでしょう。

1950年代半ばには、リズム&ブルース(rhythm and blues, R&B)やゴスペル(gospel)、ブルースなどの影響を受けた、生気溢れたソウルフルな演奏スタイルが特徴のハード・バップ(hard bop)が登場します。
アート・ブレーキー(Art Blakey、1919-1990)やクリフォード・ブラウン(Clifford Brown、1930年-1956)、ソニー・ロリンズ(Sonny Rollins、1930-)などはその代表格の一例です。

1950年代後半になると音階(モード)を音楽構造や即興演奏の基礎としたモード・ジャズ(modal jazz)が登場し、さらに規則的な拍子や形式的な構造を持たないフリー・ジャズ(free jazz)へと発展していきます。
アルバート・アイラー(Albert Ayler、1936-1970)、ドン・チェリー(Don Cherry、1936-1995)、オーネット・コールマン(Ornette Coleman、1930-2015)達がこのムーブメントを牽引します。

1960年代後半から1970年代前半に登場したのがエレクトリック・ジャズ(electric jazz)、ジャズ・ロック(Jazz rock)、 あるいはフュージョン・ジャズ(jazz fusion)と呼ばれる電気楽器を利用したジャズの一群です。

これは、ジャズの即興性とロックのリズム、そして電気楽器によって歪められ増幅された音を組み合わせたジャズです。
この時期のマイルス・デイビス、ハービー・ハンコック(Herbie Hancock、1940年-)、チック・コリア(Chick Corea、1941-2021)、ウェイン・ショーター(Wayne Shorter、1933-)、ジョン・マクラフリン(John McLaughlin、1942-)達の演奏は電気による音の増幅装置によって作り出された音の連なりです。

ちょうど同じ頃、教会音楽(ゴスペル)の影響を強く受けたソウル・ジャズ(seoul jazz)あるいはファンキー・ジャズ(funky Jazz)と呼ばれるスタイルが現れます。
代表的な演奏家にキャノンボール・アダレイ(Cannonball Adderley、1928-1975)やラムゼイ・ルイス(Ramsey Lewis、1935年-)、ジミー・スミス(Jimmy Smith、1925-2005)がいます。

ジャズとロックの融合は1970年代に最盛期を迎えます。電子楽器やロック由来の音楽的要素をジャズに取り入れることは、1990年代から2000年代にかけても続きました。
この手法を用いたミュージシャンには、パット・メセニー(Pat Metheny、1954-)、ジョン・アバクロンビー(John Abercrombie、1944-2017)、ジョン・スコフィールド(John Scofield、1951-)などがいます。

1980年代初頭になると、スムース・ジャズ(smooth Jazz)が商業的に成功し、ラジオでも数多く放送されるようになります。
これをジャズというよりも単に「耳障りの良い」音楽と捉える向きも多いのではないでしょうか。

1990年代初頭から、電子音楽は技術的に大きく進歩し、このジャンルを普及させ、新たな可能性を生み出しました。
即興演奏、複雑なリズム、ハーモニーの質感といったジャズの要素がこのジャンルに導入され、結果として新しいリスナーに大きな影響を与えます。

2000年代に入ると、ラテン・ジャズ(Latin jazz)やアフロ・キューバン・ジャズ(Afro-Cuban jazz)など、さまざまなスタイルやジャンルが登場してきます。

2010年代半ばになると、リズム&ブルース、ヒップホップ(hip hop)、ポップス(pops)などがジャズに大きな影響を与え始めます。

2015年、サックス奏者のカマシ・ワシントン(Kamasi Washington、1981-)は、約3時間に及ぶデビュー作 “The Epic" を発表します。
ヒップホップに着想を得たビートとリズム&ブルースのボーカルを挟んだこの作品は、ジャズの革新性を維持する作品として批評家に高く評価され、インターネット上でジャズ復活の火付け役となりました。

2010年のジャズのもう一つのトレンドは、インターネットを利用した極端なリハーモナイズ (* 4) でした。
これは、アート・テイタム(Art Tatum、1909-1956)のようなスピードとリズムで知られる名プレイヤーと、ビル・エヴァンス(Bill Evans、1929-1980)のような野心的なボイシング (* 5) とコードで知られるプレイヤーの両方に触発されたものです。

ここまでに取り上げた演奏家以外にも挙げるべき名前は数多く、広く知られた演奏家の名前が漏れていると思われる読者は多いことでしょう。
ジャズ史は一冊でも優に三百ページを超える世界、ここに紹介できなかった演奏家の名前を挙げてゆくと長~いリストになり、それだけで今回の号は終わってしまいます。

ここまでの話でモダン・ジャズ(modern jazz)に触れてきませんでした。
モダン・ジャズは、1940年代後半に確立されたビバップから、1960年代後半のエレクトリック・ジャズ直前までの即興演奏を含んだジャズの総称です。
モダン・ジャズには、ビバップ、ハード・バップ、モード・ジャズ、クール・ジャズ、ソウル・ジャズなどが含まれます。

それ以前のジャズを「アーリー・ジャズ」「クラシック・ジャズ」「オールド・ジャズ」などと呼ぶことが多いようです。

ジャズという言葉の起源については諸説あるようです。

その一つが、1860年に生まれたスラングで「元気、エネルギー」を意味する “jasm" と関係があると言いうものです。

ジャズという言葉が記録に残る最も古い例として、1912年にロサンゼルス・タイムズ紙(Los Angeles Times)に掲載された記事があるそうです。
そこには、マイナーリーグの投手が「ジャズボール(jazz ball)」と呼んだ球を「ユラユラして手が出せない」と表現したものが残っているそうです。

また、音楽記事の中で最初に使われた事例として、その記録が1915年のシカゴ・デイリー・トリビューン紙 (Chicago Daily Tribune) に残されているそうです。
それは、ニューオーリンズの音楽事情に関する記事の中で使われたもので、1916年11月14日のタイムズ・ピケユーン紙(Times-Picayune)に掲載された "jas bands" に関するものだということです。

「オリジナル・ディキシーランド・ジャス・バンド」の本来の綴り(Original Dixieland Jass Band)そのものに、ジャズという言葉の秘密に迫る大きなヒントが隠されています。

音楽家のユービー・ブレイク(Eubie Blake)が1983年に亡くなる前に、ナショナル・パブリック・ラジオ(National Public Radio)のインタビューに次のように答えています。

『ブロードウェイでは "j-a-z-z" と言いましたが、そう呼ばれていたわけではありません。綴りは “j-a-s-s" でした。
それは卑猥な言葉で、もしそれが何であるかを知っていたとしたら、とても女性の前では言わないでしょう。』

“jas” と同様に “jass” にも女性の背中を指す性的な含みがあるそうです。

ニューオリンズの赤線地帯の娼婦たちは、よくジャスミンを身につけていたので、ジャズの初期の綴りである “jass” はこの香りから来ているという説もあります。

「オリジナル・ディキシーランド・ジャス・バンド」(Original Dixieland Jass Band)の一行がニューオーリンズからニューヨーク市に到着するまでの間に、彼らのポスターから “j" が削り取られる (* 6) というイタズラが頻発したそうです。このイタズラにウンザリしたバンドのリーダーたちは、以降、「オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンド」(Original Dixieland Jazz Band)と “jass" を “jazz" に変えて活動することになったという逸話が残っています。

アメリカ方言協会は「ジャズ」を20世紀の言葉と命名しています。

* 1) カドリール(quadrille)
四組の男女のカップルがスクエア(四角)になって踊るダンスで、スクエアダンスの先駆けとなった踊りおよび、その音楽のスタイル。

* 2) ビギン(biguine)
西インド諸島、カリブ海のマルチニーク島、セントルシア島で古くから踊られる、速い二拍子のダンス音楽。

* 3) 対位法
複数の旋律を、それぞれの独立性を保ちながら相互によく調和させて重ねてゆく技法。

* 4) リハーモナイズ(reharmonize)
ハーモニー(和声)を改めて作ること。ある旋律やフレーズに対して、すでに設定されているコードを付け替えること。

* 5) ボイシング(voicing)
それぞれの楽器に音やコードを配分する、あるいは間隔を決める方法で、互いに関連する各音の同時的、垂直的な配置のこと。

* 6) “jass" から “j" が削り取られる
“jass" から “j" を削除すると “ass"(尻)になる。

【参考資料】
『ジャズ ーラグタイムからロックまでー』
ヨアヒム・ベーレント:著 油井正一:訳 誠文堂新光社:発行 1975年
『ジャズ ー栄光の巨人たちー』
バリー・ウラノフ:著 野口久光:訳 スイング・ジャーナル社:発行 1975年
“Wikipedia"
https://en.wikipedia.org/wiki/Main_Page

タイトルの「ぬらくら」ですが、「ぬらりくらり」続けていこうと思いつけました。
ぬらくらは、ダイナフォント News Letter(ダイナコムウェア メールマガジン)にて連載中です。
いち早く最新コラムを読みたい方は、メールマガジン登録(Web会員登録)をお願いいたします。
メルマガ登録はこちら
 
ダイナコムウェア コンサルタント
ダイナコムウェア株式会社
コンサルタント
mk88氏

PROFILE●1942年東京都生まれ。1966年桑沢デザイン研究所ビジュアルデザイン科卒。設備機器メーカー、新聞社、広告会社を経て、総合印刷会社にてDTP黎明期の多言語処理・印刷ワークフローの構築に参加。1998年よりダイナコムウェア株式会社に勤務。Web印刷サービス・デジタルドキュメント管理ツール・電子書籍用フォント開発・フォントライセンスの営業・中国文字コード規格GB18030の国内普及窓口等を歴任。現在はコンサルタントとして辣腕を振るう。
Blog:mk88の独り言

月刊連載ぬらくらバックナンバー
連載にあたっておよび記事一覧
ぬらくら第115回はこちら
ぬらくら第116回はこちら
ぬらくら第117回はこちら
ぬらくら第118回はこちら
ぬらくら第119回はこちら
ぬらくら第120回はこちら
ぬらくら第121回はこちら
ぬらくら第122回はこちら
ぬらくら第123回はこちら
ぬらくら第124回はこちら
ぬらくら第125回はこちら
ぬらくら第126回はこちら
ぬらくら第127回はこちら