連載コラム
2021年09月06日

ぬらくら第125回「土蔵のアトリエ美術館」

青森県の中央西寄り、青森市の西南端に浪岡という地区があります。
全国的に市町村合併が推進された平成の大合併で、2005(平成17)年に青森市と合併するまでは、南津軽郡の浪岡町だった地域です。

この合併案が持ち上がった時、浪岡町では合併に反対する声が多かったと聞いていますが、今は青森市の浪岡地区と呼ばれているようです。

浪岡には古くから信仰の山として崇められて来た梵珠山や、十五世紀の中頃から十六世紀の終わりにかけて浪岡北畠一族が拠点とした城跡(国指定史跡浪岡城址)があり、リンゴ園と田園に囲まれた自然豊かな地域です。

1910(明治43)年10月21日、この浪岡(当時の青森県五郷村)の地に生まれたのが常田健です。父は浪岡小学校の校長を務めた健三郎、母のみさほも教師でした。みさほの兄は画家阿部合成 (* 1) の父です。

1928(昭和3)年、健18歳の時、旧制弘前中学校を卒業すると川端画学校に進みます。
川端画学校とは、1909年(明治42)年に日本画家の川端玉章が東京都小石川下富坂町に創設した私立の美術学校です。

同校を卒業した1930(昭和5)年から、当時、東京・池袋にあったという日本プロレタリア美術家同盟研究所(プロレタリア美術研究所)で学び、1933(昭和8)年に浪岡に帰郷します。

故郷に戻った健はリンゴ園を営みながら、過酷な環境の中にある農家の人々を描き続けます。一人黙々と絵を描き続けた常田健の作風は、制作活動初期に既に完成の域にありました。代表作の「水引人」や「飲む男」「ひるね」にそのタッチを見ることができます。

健のキャンバスから立ち上る土臭さはシケイロス (* 2) やジョン・スローン (* 3)、ベン・シャーン (*4) に通じる匂いがあり、その黒く太い輪郭線からはフォービズム (* 5) の流れを思い起こしますが、そこにはそのいずれでもない健の筆致があります。

『他人に見せるためでも、売るためでもなく、ただ描きたいから描き続けた』と彼は語っています。

常田健の作品を広く知ってもらおうと1999(平成11)年に東京・銀座のギャラリー悠玄  (* 6) で「常田健 津軽に生きる88年」展が開かれます。そして、2000(平成12)年4月には「常田健 津軽に生きる88年」の全国巡回展が始まるのですが、健はなんとその前日に急逝してしまいます。享年90歳でした。

夏の日の一日、浪岡に向かいました。

東北新幹線の新青森駅で奥羽本線に乗り換え、弘前方面へ4駅、時間にして20分ほどすると浪岡駅です。

駅員のいない改札はホームと小さな待合室との間を仕切るガラス戸を開けて通り抜けるだけです。

待合室の外に出て振り返ると、真新しい駅舎は失礼ながら『えっ!』と驚くほどモダンで洒落た立派な建物です。

駅から目的地までは徒歩で30分くらいだと聞いていたので、駅に降りた時は歩こうと思っていました。改めて手元の地図を見てみると、これが思ったよりも分かりにくいのです。駅前に歩いている人がいないくらいですから、途中で道を尋ねたくてもそんな人に出会えるかどうか心許なくなりました。

日差しも強いし、無理をせずに駅前からタクシーを利用することにしました。

走り出したタクシーの運転手に、浪岡駅がモダンで綺麗なので驚いたと言うと、駅舎だと思った建物のほとんどが地域の交流を図るために、2010(平成22)年に完成した青森市浪岡交流センター「あぴねす」と言う建物で、浪岡駅は「あぴねす」の北寄りの極一部なんだと教えてくれました。

雪が積もる冬になると屋根の雪が落ちて来て危険なので、軒下に「危険」の掲示が出るし、暖房費のことは全く考えられていない建物だと、ドライバー氏の建物に対する評価は厳しいものでした。

走り出してから5、6分、タクシーはヒョイと細い路地に入って停まりました。「常田健 土蔵のアトリエ美術館 (* 7)」に到着です。

平家建てのこぢんまりしたこの美術館は、常田健が亡くなってから5年後の2005(平成17)年に、彼が生前アトリエとして使い、そこで寝泊まりもしていた土蔵の近く、リンゴ畑の外れに建てられました。

今は広い空き地にポツンと建つ美術館ですが、この春まで周囲はリンゴ畑でした。
健が亡くなり次女の岡田文(美術館館長)さんがリンゴ畑を引き継いできましたが高齢のため世話ができなくなり、今年(2021/令和3年)からリンゴの栽培を諦めたと聞きました。

世話をする人がいなくなったリンゴの木は病気が発生しやすく、周辺のリンゴ園に被害をもたらすのを防ぐために切らざるを得なくなって、今年の春に全て切ったたそうです。
美術館の周囲にはその切り株が一面に残っていました。一度でいいからリンゴの木に囲まれた美術館を見たかった。

常田健の作品300点あまりを収蔵するこの美術館は、常時約30点ほどを展示しています。

ぬらくら子が尋ねた時の館内は三つの部屋に区切られており、部屋ごとに作風の移り変わりを見ることができました。

美術館で落ち合う約束をしていた我が友人Mさんもやってきました。
彼は作品の展示替えをするために折よく浪岡に滞在している、この美術館のアートディレクターで、普段は東京で活躍しているグラフィックデザイナーです。2年前の夏に、彼から常田健の存在を教えられました。 さっそくMさんに敷地内に保存されている土蔵のアトリエに案内してもらいました。

美術館の敷地内には健が生前アトリエとして使っていた土蔵が当時のまま保存されています。彼はこの土蔵アトリエに寝泊まりしながら制作を続けていました。

アトリエには筆立て一杯に詰め込まれた絵筆や、絵の具、パレット、スケッチブック、描きかけの作品が、そして中二階には彼のベッドや読みかけの本、レコード盤などがそのまま保存されています。

筆立ての絵筆はどれも筆先がチビて短く、その様から彼がいかに筆先に力を込めて絵の具をキャンバスに塗り込めたのかが偲ばれます。

美術館で求めた画集に “F” というタイトルの作品が収められています。どこかで見たことがあるガッシリした顔立ちを映した肖像画です。
友人のMさんが、尾崎ふさだと教えてくれました。尾崎ふさと言えば、ぬらくら子が通ったデザイン学校で絵画の指導を受けた先生です。ビックリです。

健とふさとは晩年まで親交が続き、お互いに「健ちゃ」「ふっちゃ」と呼び合う同郷の画友だったことがわかりました。

美術館のロビーで見せてもらった常田健のNHKドキュメンタリービデオにも、二人の気心の知れた交流の様子が描かれています。

2022(令和4)年に予定されている「常田健展 ヨーロッパ巡回展」はCOVID-19の影響を受けて、今は計画が中断していると友人Mさんは歯痒そうでした。

最後におまけ。

常田健土蔵のアトリエ美術館は一般財団法人常田健記念財団 (* 8) が運営しています。美術館に常駐している職員Fさんは財団の職員で、時代は違いますが、ぬらくら子と同じデザイン学校の卒業生だと知りました。ビックリです。

* 1) 阿部合成(あべごうせい/あべまさなり)
昭和に活躍した洋画家。常田健と同じ1910(明治43)年、健と同郷の浪岡(当時の青森県五郷村)に生まれる。1972(昭和47)年没。享年62歳。

* 2) シケイロス(David Alfaro Siqueiros)
1896年12月29日 - 1974年1月6日。メキシコの社会主義リアリズムの画家。メキシコ壁画運動(メキシコ・ルネサンス)を立ち上げた一人で、巨大なフレスコ壁画作品で知られている。

* 3) ジョン・スローン(John Sloan)
1871年8月2日 - 1951年9月7日。アメリカの画家でエッチング作家。ニューヨークの風俗画で知られた写実主義の画家。

* 4) ベン・シャーン(Ben Shahn)
1898年9月12日 - 1969年3月14日。リトアニア生まれ、アメリカの画家。1906年、7歳のとき、移民としてアメリカに渡る。ニューヨークに住み、社会派リアリズムの画家として戦争、貧困、差別、失業などをテーマにした絵画を描きつづける。壁画、ポスター、挿絵、写真など、グラフィックアートのあらゆる分野にで活躍している

* 5) フォービズム(Fauvisme、野獣派)
二十世紀初頭に起こった絵画運動の名称。ルネサンス以降の伝統である写実主義とは決別し、目に映る色彩ではなく、心が感じる色彩を表現した。当時エコール・デ・ボザール(官立美術学校)の教授をしていたギュスターヴ・モローが指導者であった。主な弟子にアンリ・マティス、アンドレ・ドランがいる。

* 6) ギャラリー悠玄(ぎゃらりーゆうげん)
https://www.gallery-yougen.com

* 7) 常田健土蔵のアトリエ美術館
https://www.ken-tsuneda.com/

* 8) 一般財団法人常田健記念財団
https://www.facebook.com/一般財団法人-常田健記念財団-105303557531319/?ref=nf&hc_ref=ARSkPFZjsyHIHJc_BDGmlI-ZgIYO7qlgSD_GXcFR0-_BlHN_n36K_6PR9EKor1TaJAs

【参考資料】
常田健(画集)角川春樹事務所:発行 1999年 紀伊国屋書店:発売
常田健土蔵のアトリエ美術館 公式ホームページ(* 7 を参照)

タイトルの「ぬらくら」ですが、「ぬらりくらり」続けていこうと思いつけました。
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ダイナコムウェア株式会社
コンサルタント
mk88氏

PROFILE●1942年東京都生まれ。1966年桑沢デザイン研究所ビジュアルデザイン科卒。設備機器メーカー、新聞社、広告会社を経て、総合印刷会社にてDTP黎明期の多言語処理・印刷ワークフローの構築に参加。1998年よりダイナコムウェア株式会社に勤務。Web印刷サービス・デジタルドキュメント管理ツール・電子書籍用フォント開発・フォントライセンスの営業・中国文字コード規格GB18030の国内普及窓口等を歴任。現在はコンサルタントとして辣腕を振るう。
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