ダイナフォントストーリー

カテゴリー:連載コラム「ぬらくら」
2021/05/11

ぬらくら第121回「ブータン 山の教室」

2018年の夏に一度、行ってみようと調べたところ、気軽に一人旅をするのが難しいと分かったブータン。北は中国と、東・西・南はインドと国境を接しています。それぞれインド領を挟んで西側75キロメートルほど先はネパール、南側50キロメートルほど先はバングラデシュです。

人口は75万人強、首都はティンプー、国土は日本の九州とほぼ同じ広さで、その85パーセントが標高1,200メートル以上の高地にあります。

4月初旬に公開された「ブータン 山の教室」ですが、早速、見に行ってきました。

時代は現代。

ティンブーで教職課程にあるウゲン・ドルジ(シェラップ・ドルジ)は教師になるよりも、オーストラリアに渡って歌手として活躍することを夢見ています。
そんなある日、上司からブータン北部にある小さな村、ルナナに赴任するように告げられます。ドルジの返事は『僕には無理だと思います』でした。

それもそのはず、標高4,800メートル、人口56人のルナナまでは、首都ティンプーからバスに乗りガザまで丸一日、そこから更に徒歩で7日間も山を登らなければなりません。

気の進まないまま、残る一年間の教育実習を果たすためにウゲンはルナナに向かいます。バスの中のウゲンは何を聴いてるのか、ずっとヘッドフォンを着けたままです。
バスを降りると『ウゲン先生ですか? ルナナからお迎えに来ました』と声をかけてきたのはルナナ村の青年ミチェン(ウゲン・ノルブ・ヘンドゥッブ)です。

ミチェンとロバ三頭と一緒に山道を登るウゲンは相変わらずヘッドフォンを着けたままです。
途中でミチェンに何度も『後、どのくらい登るのか』と訊くウゲンですが、その都度ミチェンは『もう後わずかですよ』と笑顔で答え、ウゲンを励まします。

登っても登ってもルナナに辿り着かないウゲンは業を煮やしてミチェンに詰め寄ります。
するとミチェンは『「未だ未だ先です」といえば貴方は行くことをためらうでしょう』と返します。

大きな峠に差し掛かります。
ミチェンはマニタイ(平石を積み上げたストゥーパ)の前に小さく積み上げられたケルンに自ら一つ石を積み上げて祈りを捧げ、ウゲンにも『祈りを捧げれば、またここに戻ってこられるから……』といって小石を差し出しますが、ウゲンは無視してミチェンに背を向けます。

山の開けたところで二十名ほどの人達が白い布を振っています。ルナナ村から新任の先生を出迎えに来た村長と村人達でした。
ウゲンはここで村長から歓迎の酒を振る舞われますが『私には無理です、直ぐに戻ります』と自分の思いを言うばかりで、彼を見る村人達の温かで尊敬の念のこもった眼差しにも気づかない様子です。

村人達と一緒に辿り着いたルナナ村の校舎は、前任の教師が居なくなってからかなり経つようで、一つしかない教室の中は荒れ放題、黒板もなければ満足な教材もありません。

その晩、ミチェンはティンブーに帰ることしか頭に無いウゲンを誘って、夕食を共にします。
ウゲンに気を使うミチェンはしきりに話しかけるのですが、ウゲンは上の空でスマートフォンをいじるばかり、ろくに返事もしません。

ウゲンは直ぐにティンブーに戻るつもりで村が用意してくれた宿舎に泊まります。
翌朝、『私は学級委員です。授業は8時半からで、今は9時です』といって宿舎に迎えに来た女の子ペム・ザム(本人)と一緒に教室に向かったウゲンは、そのまま授業を始めます。

ウゲンは自己紹介をした後で、生徒一人一人に『大きくなったら何をしたい?』と問います。歌手になりたいと答えたペム・ザムに、みんなで聞こうというウゲン。
そこでペム・ザムは『♪そこの彼 こっちにおいでよ 私と つきあっちゃえば~?』とおませな歌を披露します。
ペム・ザムの隣に座る少年サンゲの『将来は先生になりたいです。先生は未来に触れることができるから』という答えを聞いてウゲンは一瞬黙り込んでしまいます。

成り行きのまま、授業を続けるようになったウゲンですが、教室には黒板もチョークもありません。
教室の粗壁に消し炭で板書をしながら子供たちと授業をするウゲンの求めに応じた村人達は、黒板を手作りします。

こうして直ぐに帰るはずのウゲンは子供たちに慕われ、村人達から大切にされます。
勉強したい子供たち、勉強させたい村長や村人達と過ごすうちに
ウゲンは少しずつルナナでの自分の役割を自覚するようになります。

ウゲンはティンブーの友人に「授業に必要な教材を送ってくれるように」と手紙を書いて村人に託すのでした。

ルナナの人達の仕事はヤクの放牧が主で、日々の暮らしは自給自足です。村にある太陽光発電は故障しがちで役に立たず、携帯電話の電波も届きません。
ウゲンは充電器に差し込んだまま、いつまで経っても充電されることのないスマートフォンの存在を忘れてしまいます。

燃料にするためにヤクのフンを集めに山に向かったウゲンは、遙かな山に向かって歌いかける若い村人セデュ(ケルドン・ハモ・グルン)に出会い、彼女から「ヤクに捧げる歌」を教えてもらうようになります。

ある日、セデュは大きなヤクを引いて教室にやって来ます。『ヤクのフンを集めに山を回るのは大変だから、このヤクをあなたにあげる』とウゲンに手綱を渡します。
『外は寒いので教室で飼うように』と言って、恥ずかし気に教室を出て行きます。それからのウゲンと子供達の授業はいつもヤクと一緒です。

村が外界から閉ざされてしまう厳しい冬が近づき、ウゲンもルナナを去らなければならない日がやって来ました。
セデュがウゲンの首にタシ・カダール(祝福の白い布)を掛けながら『外国に行ってもう戻らないのですか? 私はこれからもずっとここに居ます』と告げるシーンは、ルナナの風景と一緒になって、ウゲンに言葉以上のものを伝えているようでせつないです。

別れ際に交わす村長とウゲンの短い会話も印象的です。

『ブータンは国民総幸福の国だと言われています。今の若い人達は幸せを求めて外国に行くんですね』
『替わりに僕よりも優秀な先生が来ます』
『子供達には新しい先生ではなく、あなたが必要なのです』

ティンブーに向かう途中、ウゲンはあの峠で自ら小石を拾ってケルンに積み上げ、しばらく頭を下げて何かを祈っているようでした。

場面は変わってオーストラリアのシドニー、夜のダイニングバーです。
小さなステージの上ではウゲンがギターを弾き、歌っています。しかし誰一人としてウゲンに注意を払う客はいません。
ウゲンは歌うのを止め、ギター置いて黙ってしまいます。談笑していた客達は、何が起きたのかと一斉にステージ上のウゲンを見つめます。

店のマネージャーは『払った金の分だけは仕事をしろ』とウゲンを罵ります。

辛そうな表情をしたウゲンの口から出てきた歌は、ルナナでセデュが教えてくれた「ヤクに捧げる歌」でした。

「ブータン 山の教室」の英語のタイトルは “Lunana: A yak in the classroom” です。
初めて耳にするブータンの言葉は、モンゴルと韓国の会話を足して二で割って、中国語の香辛料を振りかけたように聞こえました。
公用語はゾンカ語でチベット文字で表記されます。学校教育には英語も併用されているそうです。

どうしても伝えることができないのが、ティンブーからルナナまでの風景の美しさ、素晴らしさです。こればかりは映画を見て頂くしかありません。

最後に、この映画の中で何度も流れる「ヤクに捧げる歌」の歌詞の和訳を紹介します。この映画のブックレットの最後に掲載されています。

凛々しきヤク その名はハダル
あたかも神の子のごとし
汝 ハダルの故郷を問うなかれ
知りたくば教えよう
ハダルの故郷は 壮大なる白い山の麓
黄金色の牧草が大地を覆う場所
花に彩られし この景色
ここぞ ハダルが故郷と呼ぶ場所
我は高地の緑草を食む
池や湖の水を飲みくだす
物悲しき我は ハダル
薄幸なる者は我 ハダル

【参考資料】
「ブータン 山の教室」ホームページ https://bhutanclassroom.com/
映画「ブータン 山の教室」ブックレット
外務省ホームページ https://www.mofa.go.jp/mofaj/

タイトルの「ぬらくら」ですが、「ぬらりくらり」続けていこうと思いつけました。
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ダイナコムウェア コンサルタント
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コンサルタント
mk88氏

PROFILE●1942年東京都生まれ。1966年桑沢デザイン研究所ビジュアルデザイン科卒。設備機器メーカー、新聞社、広告会社を経て、総合印刷会社にてDTP黎明期の多言語処理・印刷ワークフローの構築に参加。1998年よりダイナコムウェア株式会社に勤務。Web印刷サービス・デジタルドキュメント管理ツール・電子書籍用フォント開発・フォントライセンスの営業・中国文字コード規格GB18030の国内普及窓口等を歴任。現在はコンサルタントとして辣腕を振るう。
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