連載コラム
2011年10月06日

ぬらくら 第13回 清昭陵

やっとたどり着いた感のある清王朝二代目皇帝・皇太極(ホンタイジ)の墓所「宝城」は、楡の木を一本植えただけの大きな土饅頭、その質素な佇まいは大変に印象的でした。
北陵公園正面の赤煉瓦造りの正門と左右に伸びる紅墻(こうしょう/朱色の塀)は、その屋根の形や塀の朱色から沖縄の首里城を思い起こします。
正門の前に建てられた「世界文化遺産 清昭陵」の石碑は記念に持ち帰る人がいるのでしょうか、台座の左隅が大きく欠けたままになっています(あるいは欠けたまま補修していないだけかも知れませんが)。
紅墻にはタイルで造られた二匹の龍が嵌め込まれています。
緑色のタイルに縁取られた二匹の金色の龍、口を大きく開けギョロリ剥いた眼で向き合った姿はユーモラスです。 中国遼寧省瀋陽市の北に位置する北陵公園は、おおよそ東西に1.3キロメートル、南北に2.5キロメートルの矩形の公園で、その広さは318万平方メートルあります。
正門を入ると真っ直ぐ北に延びた幅20メートル程の参道で、その先は見えません。 参道の左右は常緑樹が覆い、濃い緑の奥にボートが浮かんだ大きな池が見え隠れしています。
舗装された参道を進むこと半キロ、中央に太宗・皇太極(ホンタイジ)の銅像が道を塞ぐように建っています。
ガッシリした広い肩幅と分厚い胸板に足首まであるマントを羽織り、左手は腰に帯びた剣の柄に伸びています。
房飾りのついた兜の下では細めた眼が南の方角を見据えています。 満州語、モンゴル語、漢語で『役人等は此処で下馬』と刻まれた下馬碑、中国北部に生息するという犬に似た架空の動物「望天吼」を頂部に置いた華表柱、日本の狛犬を大きくしたような石獅などの前を更に半キロ余り進みます。 真っ直ぐな参道が大きな池の北端にかかるところで石の橋「神橋」を渡ると清昭陵の前に出ます。
神橋を渡ったところに建つ石碑坊は、前後を四本ずつの太いスチール・パイプで補強された四本柱・三間・三楼の上に歇山式(中国古代建築物の屋根の様式)の屋根を載せた石の門です。
石碑坊背後の左右には皇帝が祭祀を行うために着替えをする更衣亭と祭祀用の家畜や家禽を屠る宰牲亭が参道を中にして向かいあっています。
参道の正面には清昭陵への入り口になる朱色をした正紅門が建ち、その左右には紅墻が伸びています。 正紅門を入るとここにも華表柱が建っています。
陵墓前の参道(正しくは神道というようです)の両側には、儀仗・鑾駕の象徴で墓主が重要な身分と地位であることを示す石像生と呼ばれる石像が六体ずつ並んでいます。
石像生は正紅門から北に向かって次の順で並んでいます。
(1)石獅:獅子。業績と権勢の象徴。
(2)
豸:カイチ。是非・善悪・曲直を見分ける伝説の獣。
(3)麒麟:キリン。平和と繁栄、皇帝の慈愛と英知の象徴。
(4)立馬:馬。皇太極が生前最も愛した二匹の駿馬に似せて彫られている。二頭の駿馬は何度も主人の命を救ったと伝わっている。
(5)駱駝:出征中に多くの功労を立てたと伝わっている。
(6)立象:象。天下太平・平穏の象徴。従順な民衆と堅固な国土を示している。
六体の石像生の先、神道の中央に建つのが大碑楼とも呼ばれる朱色に塗られた神功聖徳碑亭です。
歇山式の方形重櫓で内部には亀の背に乗った重量50トンと言われる巨大な石碑が収められています。
石碑には満族と漢族の二種類の文字で『大清昭稜神功聖徳碑』とあり、今は摩滅が激しくなっていますが1,810文字で皇太極の生涯の文治武功が刻まれています。
大碑楼を過ぎると神道の左側に祭祀の時に供える果物を準備する果房と儀仗房が、右側には祭祀用具を洗浄する滌器房と茶膳房が並びます。
果房も滌器房も往時の遺物の展示室になっています。
薄暗い展示室内には、祭祀用の生け贄の肉を煮炊きした銅釜や山陵▲(サンリョウチュン)と呼ばれる鐘、黄地青花龍文六◆瓶(オウチセイカリュウモンリクリョウピン)や 乾隆款本金象耳竹瓶(カンリュウカンホンキンゾウジチクピン)などの美術工芸品が展示されています(▲は金偏に中、◆は木偏に草冠のない菱)。
これら四つの建物はここから正面に見える隆恩門や城墻(城壁)と同じように黒灰色の煉瓦造りに朱色の屋根を載せています。
城墻内を方城と言いその正門が隆恩門です。
方台式煉瓦構造でその中央にアーチ型の出入り口が一つ開いている隆恩門の正面に満、漢、蒙それぞれの文字で「隆恩門」と彫った石が嵌め込まれています。
さらに隆恩門の上には三滴水歇山式の三層の五鳳楼(楼閣)が載っています。
隆恩門から城墻内に入ると質素でヒッソリとした空気に一変します。
隆恩門から正面の隆恩殿まで神道が伸び、その左側に朱色の屋根を乗せた黒灰色煉瓦造りの西配楼、西配殿が、右側に東配楼、東配殿が並びます。
方城正面の隆恩殿は亨殿とも呼ばれ、皇太極と孝端文皇后(博爾濟吉徳/Bo'erjijite)が祀られています。
隆恩殿は祭祀を執り行う際の主要な建物です。
隆恩殿の回廊に上がってみましょう。
皇太極と孝端文皇后の玉座の前に置かれた台を覆う絹布の黄金色と、その上に飾られたトルコ石の燭台や花卉のブルーが鮮やかなコントラストを見せています。
台の周囲には観光客が投げ込んだ小銭や紙幣が散乱しています。
そして隆恩殿に接するようにその背後に方城の北門にあたる大明楼が建っています。
隆恩殿の背後、大明楼との間に二柱門と石祭台があります。
二柱門はまたの名を
星門(リョウセイモン)」といい、門の前には白大理石製の須彌壇に似せた石祭台が置かれています。
石祭台の中央に香炉、その左右には香瓶と燭台が一対ずつ置かれてます。
石祭台は祭祀の時に挙哀(大きな鳴き声で悲しみを表す)と酒を捧げる場所です。
大明楼下の通路を抜けるとそこは周囲を城墻で囲まれた何も無い場所です。
北側は緩い弧を描いている城墻で高さは約6メートル、幅約96メートル、その形状が三日月に似ているところから月牙城と呼ばれています。
この弧を描いている城墻の奥が清昭稜の最奥部で皇太極と孝端文皇后が埋葬されている宝城になります。
石祭台の前から大明楼下の門を通るときに正面にタイルの壁が見えます。
そのタイルの壁の奥(宝城の地中)が皇太極と孝端文皇后が眠っている地宮になります。
このタイルの壁は一見すると地宮への入り口のように見えるのですが何処にも開口部がありません。
宝城は墓地を囲む灰色煉瓦の壁で羅圈墻と呼ばれることもあり、三合土(白灰、砂、黄土を混ぜた土)を盛って突き固めてあります。
宝城の中央にある土盛りが宝頂で独龍阜とも呼ばれています。
中央には祖先の墓(永稜。清の太祖・努爾哈赤(ヌルハチ)が祖先を埋葬するために築造した陵墓)に倣った楡の木が一本植えられているだけで、 他には何の飾りもありません。
宝頂の真下が皇太極と孝端文皇后が埋葬されている地宮になります。
ずっと清昭稜を見学して来て、陵墓の一番奥にある皇太極と孝端文皇后が埋葬されている宝頂がただの土盛りだったことは衝撃でした。
一番立派な建物であってもおかしくないのに楡の木が一本植えられているだけの質素な佇まいは大変に印象的でした(2011年5月訪問)。
(注)文中の「隆」は正しくは旁の「夂」と「生」の間に「一」が入ります。

タイトルの「ぬらくら」ですが、「ぬらりくらり」続けていこうと思いつけました。
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  著者 Information

著者
ダイナコムウェア コンサルタント
mk88氏

PROFILE●1942年東京都生まれ。
1966年桑沢デザイン研究所ビジュアルデザイン科卒。
設備機器メーカー、新聞社、広告会社を経て、
総合印刷会社にてDTP黎明期の多言語処理・印刷ワークフローの構築に参加。
1998年よりダイナコムウェア株式会社に勤務。
Web印刷サービス・デジタルドキュメント管理ツール・電子書籍用フォント開発・
フォントライセンスの営業・中国文字コード規格GB18030の国内普及窓口等を歴任。
現在はコンサルタントとして辣腕を振るう。
Blog:mk88の独り言

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