連載コラム
2020年11月17日

ぬらくら第115回「PERSONA」

その写真集にはこんな写真が綴じられています。

「遠くから歩いて来たと言う青年 1999」002
ざんばら髪にホームベース型の顔。細めた視線を自分の足元に落としているのは恥ずかしいからなのか。
長袖のポロシャツにしっかり折り目のついたズボン。力なくだらりと下げた両手からは彼の自信無げな様子が伝わってきます。

「中国製カメラ『海燕』を持った青年 1986」008
肩までの長髪に後ろ前に被った野球帽。やや右に傾けた下膨れのふっくら顔に筋の通った鼻と口髭、緩く開いた口元。冷ややかで表情の読めない視線がこちらを見つめています。
肩章のついたニットのジャンパーの左肩から襷掛けにしたショルダーバッグのベルトにトートバッグがぶら下がっています。首にかけた革ケースに収まるカメラが胸の前に下がっています。
少し太めのお腹のあたりに添えた左手の手首に光るのはデジタル腕時計のようです。

「四十歳になったという、中国製カメラを持っていた人(15年後)2001」009
この写真は上記「中国製カメラ『海燕』を持った青年 1986」の15年後の肖像です。
眉毛近くまで被ったニット帽の下から好奇心をのぞかせた視線がカメラのレンズを覗き込んでいます。高く上げた左肩は掛けていいる大きな鞄が重いのでしょうか、上半身も右に傾いています。
ブルゾンの大きなポケットは右側だけ何が入っているのか大きく膨らんでいます。首にかけたネックストラップには三脚穴に固定されたカメラが逆さにぶら下がっています。
大きなセレン光電池式の露出計がついている見たことのないシンプルなカメラはロゴマークがついていない国籍不明のカメラです。

「ひとり、人込みを歩いていた中学生 1998」149
日の丸の左右に「闘」と「魂」の筆文字をあしらった幅広の鉢巻で掻き上げた髪の毛を抑えています。
凛々しいと言っていいくらいキリッとした眉、物怖じを知らない細い一重の目が睨むでもなくこちらを見つめています。
太い鼻梁と厚めの口元はこの中学生を大人びて見せています。膝上まである長い丈の学生服の襟からわずかに白いセルロイドの襟カラーが覗いています。
襟ホックと第一ボタン、それに一番下のボタンを外し、第三ボタンと第四ボタンの間から使い込まれた太い木刀が左の腰に差し込まれ、長い上着の裾からその先が覗いています。
ポケットの中の左手が木刀を握っているようです。指先だけをポケットに入れた右手は不安げです。

これらの写真は天地32.5センチメートル、左右30.5センチメートル、厚さ2.5センチメートル、厚手の表紙に “PERSONA” とタイトルが空押しされている大型の写真集に納められています。

納められている165点の天地・左右22センチメートルの正方形のモノクロ写真は、全て浅草寺の境内の朱塗りの壁の前で撮影された肖像写真です。
全ページ、重厚なグレートーンを再現したモノクロ・トリプルトーン(三色刷り)で、まるでプラチナ写真(* 1)を手にするようです。

一点一点の写真につけられたキャプションは冒頭でもその一部を見ていただきましたが、とにかくユニークです。
そこからも、シャッターを切る前に著者が時間をかけてポツリポツリ被写体にインタビューしている様子が浮かんでくるキャプションです。

以下に写真につけられているキャプションを数点だけご紹介します。
カギカッコの後ろの三桁の数字はそのキャプションがつけられた写真の番号です。

「コーン・フレークを袋ごと鳩の群れにやっていた人 2001」006
「日にちを間違え、花火大会だと思って来てしまったという男 2000」011
「青森刑務所での服役中、短歌を詠むことを覚えたという男 2003」022
「四十八回、救急車で運ばれたと語る男 1999」058
「使いかけの電車のプリペイドカードを買わないかと訊く男 2001」106
「わたしの東北なまりに、死んだ友人を思い出し泣き出したひと 1999」124

などなど、キャプションからだけでもそこに何が写っているのかが見えてくるようです。

この写真集の「あとがき」で、著者も触れているダイアン・アーバス(* 2)の代表的な写真集 “An Aperture Monograph(* 3)” が、すぐ隣にある異次元の世界を切り取った写真集だとすれば、この “PERSONA” は一枚一枚の作品に映る人物の日常生活臭を炙り出した作品集だと言えるでしょう。

“PERSONA” には他にも七年後、十五年後、十八年後と時間をおいて同じ人を撮った作品、左右のページに一人一人別々に並べたどういう関係なのか判然としないカップルの写真など、どの一枚も今そこにいる人を生々しく捉えています。

ぜひ図書館などで写真家・鬼海弘雄の写真集 “PERSONA” の凄さに触れてください。
この写真集の続編にあたる「PERSONA 最終章 2005 - 2018(* 4)」も刊行されています。

以下は蛇足です。

ダイアン・アーバスには世界的な映画監督スタンリー・キューブリック(* 5)と意外な接点があります。
1940年代になってファッション写真家として活躍を始めたダイアン・アーバスは、グラフ雑誌「ルック」に在籍しますが、そこに見習い写真家として入ってきたのがスタンリー・キューブリックで、彼女は先輩としてキューブリックを指導したようです。

彼女には一卵性双生児の少女を撮影した有名な作品 “Identical Twins, Rosselle, N.J. 1967”(写真集 “An Aperture Monograph” に掲載されています)があります。
この作品によく似た双子の少女が、1980年に製作されたキューブリックの「シャイニング」に登場しています。彼女達が登場するシーンはキューブリックのアーバスへのオマージュだったのかも知れません。

* 1) プラチナプリント
1873年、ウイルスによって発明されたプラチナとパラジウムを使った写真印画技法。
広く普及した銀塩印画法に比べて耐久性が高く、強制劣化テストで500年保つと言われている。黒が濃く潰れそうで潰れないシャドー部の階調性が特徴になっている。

* 2) ダイアン・アーバス(Diane Arbus 1923 - 1971)
アメリカの写真家。1940年代からファッション写真家として「ヴォーグ」、「ハーパース・バザー」、「エスクァイア」などの雑誌で活躍する。
その後、フリークスという言葉で括られる肉体的・精神的に他者と著しく違いがある者、他者と著しく異なる嗜好を持つ者などに惹かれ、彼らを被写体にした作品を残す。 彼女自身も次第に心のバランスを失っていき、ニューヨークの自宅アパートで自らの命を絶つ。

* 3) An Aperture Monograph Diane Arbus 著 Aperture社 1972年

* 4) PERSONA 最終章 2005 - 2018 鬼海弘雄 著 筑摩書房 2019年

* 5) スタンリー・キューブリック(1928 - 1999)
アメリカの映画監督、脚本家、プロデューサー。
主な監督作品に、2001年宇宙の旅(1968)、時計じかけのオレンジ(1971)、バリー・リンドン(1975)、シャイニング(1980)、フルメタル・ジャケット(1987)、アイズ・ワイド・シャット(1999)があり、世界的な映画賞を数々受賞している。

【参考資料】
PERSONA 鬼海弘雄 著 草思社 2003年

タイトルの「ぬらくら」ですが、「ぬらりくらり」続けていこうと思いつけました。
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ダイナコムウェア コンサルタント
ダイナコムウェア株式会社
コンサルタント
mk88氏

PROFILE●1942年東京都生まれ。1966年桑沢デザイン研究所ビジュアルデザイン科卒。設備機器メーカー、新聞社、広告会社を経て、総合印刷会社にてDTP黎明期の多言語処理・印刷ワークフローの構築に参加。1998年よりダイナコムウェア株式会社に勤務。Web印刷サービス・デジタルドキュメント管理ツール・電子書籍用フォント開発・フォントライセンスの営業・中国文字コード規格GB18030の国内普及窓口等を歴任。現在はコンサルタントとして辣腕を振るう。
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