ぬらくら第101回 「東洋のモナリザ」
迎えに来た彼のトゥクトゥクでアンコール・ワットに向かう。
アンコール・ワットに近づくほどに、前を往く車やトゥクトゥクの赤いテール・ランプの数が濃くなってくる。
チャブさんは広い駐車場を通り越してドンドン奥に進んで往く。
舗装路を外れて路面の大きな穴がトゥクトゥクを左右にギシギシ揺するのも構わず、往き着いた所はアンコール・ワットの西参道正面の近く。
暗い空の下にアンコール・ワットの三つの塔がその輪郭をうっすらと現す頃になると、この辺りにも少しずつ人が集まってきた。
やがて切れた雲間が明るくなり周囲の雲が淡く赤紫色に染まり始めたが、せっかく早起きしてやって来たアンコール・ワットの日の出も雲に遮られて、そこまでだった。
チャプさんが『これからどうする?』というので、彼が昨日提案してくれたプラン「アンコール・ワットの日の出が見られなかったら、バンテアイ・スレイに向かう」をお願いした。
ここで、はたとカメラのバッテリー二個が未だ充電器の中なのを思い出す。
一度ホテルに戻ってもらい充電が済んだ二個のバッテリーを鞄に放り込み、ついでに朝食も済ませる。
7時過ぎ、二日前に購入したアンコール・パス三日券が入ったホルダーを首に掛けて、再びチャブさんのトゥクトゥクでホテル前を出発。
ホテルからおおよそ40キロメートル北を目指す。
アンコール・ワット遺跡群はシェムリアップの中心部以外にも広い範囲に散らばっていて、それらを見学するためには事前に「アンコール・パス」を入手しておく必要がある。
アンコール・パスには一日券、三日券、七日券の三種類があり、市の中心部から四キロメートルほど北東、アプサラ・ロードとストリート60の交差点際にある「アンコール遺跡群チケット販売所」のみで入手することができる。
チケット販売所に往くと、販売窓口の前に設置されたデジタル・カメラで購入者の顔写真を撮影し、その場でその顔写真を刷り込んだチケットを発行してくれる。
トゥクトゥクがアンコール・トムを抜ける辺りは高い木々が周囲を覆っている。
緑濃い木々の中を走っているのに蝉の鳴き声が聞こえてこないのはどうしたことだろう、シェムリアップに蝉はいないのか。
そんなことを考えていると、チャブさんは小型のバイクを押して歩く二人連れを追い越し、トゥクトゥクを路肩に寄せて停車させた。
知り合いでも追い越したのだろうか?
トゥクトゥクを降りて後ろに回ったチャブさんが、小形バイクを押して近づいてくる二人連れの青年に何か話しかけている。
トゥクトゥクに戻ったチャブさんが座席の下から取り出したのは薄オレンジ色をした液体が口元まで詰まった二リットル入りのペット・ボトル。中身は一目でそれと分かる「ガソリン」だ。
『オイオイ、携行缶じゃなくてペカペカのペット・ボトルかよ』は自分にしか聞こえない声。
彼にこちらの思いが伝わるはずもなく、ペット・ボトルから彼らのバイクに器用にガソリンを移すチャブさん。
彼に向かって何度も頭を下げる青年達。
そんな二人にはお構いなしでトゥクトゥクをスタートさせるチャブさん。
彼らを追い越したときに、チャブさんは彼らがガス欠のバイクを押していることに気がついたらしい。
後でガソリンの件を訊ねると『知り合いでも何でもないし今日初めて会った人達だよ。困っているときはお互いさま、たまたま予備のガソリンを持っていたからね。』という返事。
今年で30歳になったというチャブ・サラットさん、一日に US$ 1.00しか稼げない日もあるとこぼし、家には二歳と生まれて間もない男の子と奥さんがいるとも教えてくれた。
今日で三日間続けて彼のトゥクトゥクにお世話になっているが、彼は道路がどんなに渋滞してきても、他のバイクやトゥクトゥクがするように路側帯を走ることはしない、右・左折してくるトゥクトゥクや車を前に入れてあげる、優しく実直な運転振りなのだ。客を乗せているからばかりではなく、仕事に対する彼の誠実な姿勢が現れているのだろう。
雨期に入っているというのに雨が少なく、道路も田畑も溜め池すらもカラカラで、おりから吹いてきた強い風でトゥクトゥクの走る先はベージュ色の靄がかかったようになる。座席にいても目を開けていられない。チャブさんは稲作の出来をしきりに心配している。
ときどき、赤い土ホコリで覆われた道の左右を、頭に緑の帽子をのせたような背の高いニッパヤシの木が流れて行く。
ホテルを出て一時間半あまり、バンテアイ・スレイの入り口に到着。
バンテアイは「砦」、スレイは「女」、バンテアイ・スレイは「女の砦」という意味だと案内板にあった。
入り口で駐車場に回るチャブさんと別れ、アンコール・パスのチェックを受ける。
目の前に青々と稲田が広がり、その隣の緑地で幅広の角を振りながら口をモグモグさせているのは水牛だろう。ここだけは水が豊かなようだ。
木立に囲まれた赤土の道を進んで行くと、正面にさらに赤いバンテアイ・スレイの東門が建っている。意外にこぢんまりしている。
967年に完成したとされるこの寺院は、主に赤色砂岩で建てられている。
アンコール王朝摂政役のヤジュニャヴァラーハ王師の菩提寺として、ラージェンドラヴァルマン二世とその息子ジャヤヴァルマン五世が二代に渡って建設したシバ神とビシュヌ神を祀った美しいヒンドゥ教寺院だ。
東門をくぐると、参道が真っ直ぐ第一周壁門に向かって伸び、その両側にリンガ(男性器)を模した石柱が並んでいる。
一辺およそ100メートル四方の矩形の第一周壁の中に40メートル四方の第二周壁が、第二周壁の中にはさらに第三周壁あり、第三周壁に囲まれて経蔵と中央祠堂が建っている。
第一周壁と第二周壁の間の環濠は、本来なら一杯に水を湛えて空の青を映しているはずなのだが、今はただ赤茶けただけの窪地だ。
第二周壁門をくぐると足元も、右も左も、前も後も赤、赤、赤、赤一色。
周壁門や経蔵の破風、祠堂の柱に深く彫り込まれたヒンドゥ教由来のレリーフは、シャープで風化も少ない。見事の一言に尽きる。
お目当てのデヴァターは中央祠堂の北塔の角に佇んでいた。
微笑んでいるようにも見える口元と厚い唇、うつむき加減に落とした視線、明けられた孔を飾るリングが重いのだろう、耳タブが胸の上まで垂れている。
自然に下ろした右手は蓮花の蕾を持っている。
肘を曲げて自身の豊かな胸の左横に当てた左手は、首にかけた開きかけの蕾がついた蓮の茎の端を持っている。
腰から下を覆う薄布、房飾りを暖簾のように下げた腰帯、薄布を通してかすかに透ける膝、上体をホンの少し右に傾け、アンクレットをつけた素足でゆったり立っている。
これが「東洋のモナリザ」か、何と唐突で呆気ない出会いだ。
このデヴァター、何時まで見ていても見飽きない不思議な魅力があり、その前を去りがたい。
1923年にフランスの作家アンドレ・マルローが祠堂に彫られたデヴァターに魅せられてこれを盗み出し、国外に持ち出そうとして逮捕されてしまう話しは有名らしい。彼は後にこの体験を基に小説『王道』という作品を発表しているが、知性が高いはずの作家すら魅了してしまったということか。
彼がどのデヴァターを持ち出そうとしたのかは知らないが、この寺院全体に施されているレリーフは、繰り返すがどれも彫りが深くクッキリと残っており、アンコール遺跡群の中でもその造形美は特筆に値する。
この「東洋のモナリザ」の左右を反転した姿のデヴァターがその左側に立っている。首のかしげ方やその表情、腰帯の房飾り、薄布の裾の広がり具合などに微妙な違いがある。
バンテアイ・スレイからロレイ、プリア・コー、バコン、トレンサップ湖、プノンクロンと回ってもらったが、どこに行っても蝉の声がない。
ホテルに戻りついたときに、チャブさんに蝉のことを訊いてみた。
『シェムリアップにも蝉はいますよ。一番鳴いているのは五月の頃でしょう。』という返事だった。
ホテルの中庭にあるプール下の石段横に漆喰製と思われる「東洋のモナリザ」のレプリカが嵌め込まれている。
本物の赤色の印象が強いためだろう、漆喰の生白い「東洋のモナリザ」には引き寄せられるほどの力を感じることはなかった。
タイトルの「ぬらくら」ですが、「ぬらりくらり」続けていこうと思いつけました。
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コンサルタント
mk88氏
PROFILE●1942年東京都生まれ。1966年桑沢デザイン研究所ビジュアルデザイン科卒。設備機器メーカー、新聞社、広告会社を経て、総合印刷会社にてDTP黎明期の多言語処理・印刷ワークフローの構築に参加。1998年よりダイナコムウェア株式会社に勤務。Web印刷サービス・デジタルドキュメント管理ツール・電子書籍用フォント開発・フォントライセンスの営業・中国文字コード規格GB18030の国内普及窓口等を歴任。現在はコンサルタントとして辣腕を振るう。
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