連載コラム
2010年11月29日

ぬらくら 第5回 印書一致体

「クタバッテシメェー」をもじって筆名にしたという明治の小説家二葉亭四迷は、それまで文語体で書かれていた小説を口語体で書くという言文一致体を推し進めた人で、当時の多くの作家達に影響を与えたそうです。特に彼の作品「浮雲(*1)」から日本の近代小説が始まったと言われているようです。

口語体で書かれているという「浮雲」を開いてみると、なんと序文は文語体のまま。句点も読点も使われていません。本編は現在の語り口とは違いますが確かに話し言葉で書かれています。会話の部分では語尾のニュアンスを表現するためでしょう、片仮名や音引きも使われています。これが言文一致体。

印書一致体について考えてみようと思います。
印書一致体というのは「印刷されているとおりに書く」というほどの意味で、この場限りの「ぬらくら」の造語です。

手で書いた文字が、印刷されている同じ文字の形と違っていることを気にしたことがありますか。
違いと言っても、例えば印刷された「木」という文字の縦棒の下は跳ねていませんが、手で書くと跳ねて書くことがある、というようなわずかな違いのことです。
私は気にしたことがありません。

しかし、これが小学校では大きな違いになっています。
「木」の縦棒の最後を跳ねて書く、「才」の三画目を一画目から離して書くなどは間違いとされます。
他にもこれと似たようなわずかな違い(跳ねる・跳ねない、離す・離さない、曲げる・曲げない、などなど)を間違いとする漢字が多数あります。

例えば小学校で跳ねてはいけないと教えている「改」「空」「陸」の三画目、五画目、七画目は一般的な書籍に使われている明朝体では跳ねています。
「手」や「呼」の最終画は曲げて書くように教えられますが、これらは国語辞典を みても真っ直ぐです。

このように小学校の教科書の中で使われている文字の形は他の印刷物で使われている文字の形、例えば明朝体とは違っているものがあります。

これから文字を覚えてゆく小学校では、文字を書くときにその形や画数、筆使いを 誤まって覚えてしまわないように、手書き文字の規範ともいうべき教科書用の書体、 教科書体を使用しています。

教科書体は文部科学省が「小学校国語学習指導要領」の中で「学年別漢字配当表」として示している文字の形に倣って作られています。特に国語の教科書体は漢字書き取りの際の手本となるように手書き文字に近い書体になっています。

教科書に使われている文字は教科書体だけではありません。見出しにはゴシック体や丸ゴシック体も使われています。これらの書体も止めるところ、跳ねるところなど、文字の形は「学年別漢字配当表」に示されている形に近いものになっています。こうしたフォントを学参フォントと言うことがあります。学参は学習参考を縮めた表記のようです。

小学校での6年間、教科書体に親しんで中学校に進むと、覚えてきた文字を正しく読み取るむことに重点が移り教科書の書体は明朝体になります。

成人してからは新聞、雑誌、通勤電車内の中吊り広告など、日常的に目にする文字が明朝体やゴシック体になります。文書を書くときはパソコンを利用するようになり教科書体を利用することはまず無いでしょう。

一文字を正確に書くことが大切であることに間違いはありませんが、文字を覚えることの目的は文字を使ったコミュニケーションができるようになることです。成人してからの「正しく読める」という対象は教科書体ではありません。一文字だけを教科書体のように正しく書けても自分の意見や気持ちを文章で表現できないのでは正しく書けるとはいえません。

乱暴に言ってしまえば「止めたり跳ねたり」「ついたり離れたり」を間違えても、意味が間違って伝わることはないでしょう。

そんなことよりも一つ一つの文字の成り立ちや意味を教えたり、文章で自分の考えを表現することにもっともっと時間を割い方が良いのにナァと「ぬらくら」書きは切実に思うこの頃です。

手書きの正しい字形を覚える時に細かな差異を指摘する印書一致とは何なのでしょう。明朝体の字形の中にも誇張や誤りがあるので、書くときの些末な違いをあげつらうことは漢字教育にとって害こそあれ益はないという指摘もあります(*2)。
皆さんは印書一致をどのようにお考えでしょうか。

最後に跳ねると跳ねないでは意味が異なる漢字をひとつ。
水が引く、乾かす意味の「干」は縦棒の下を跳ねません。
これを跳ねると「う」と読む「于」になり「~で、~に」という意味になります。
もっとも「于」が日本語の文章に出てくることは極めて希ですが…。

(*1)「浮雲」はインターネット上の電子図書館「青空文庫」でも読むことができます。
(*2)「漢字の常識」原田 種成著、三省堂 1982年刊

タイトルの「ぬらくら」ですが、「ぬらりくらり」続けていこうと思いつけました。
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  著者 Information

著者
ダイナコムウェア コンサルタント
mk88氏

PROFILE●1942年東京都生まれ。
1966年桑沢デザイン研究所ビジュアルデザイン科卒。
設備機器メーカー、新聞社、広告会社を経て、
総合印刷会社にてDTP黎明期の多言語処理・印刷ワークフローの構築に参加。
1998年よりダイナコムウェア株式会社に勤務。
Web印刷サービス・デジタルドキュメント管理ツール・電子書籍用フォント開発・
フォントライセンスの営業・中国文字コード規格GB18030の国内普及窓口等を歴任。
現在はコンサルタントとして辣腕を振るう。
Blog:mk88の独り言

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