ダイナフォントストーリー

カテゴリー:連載コラム「ぬらくら」
2019/07/01

ぬらくら第98回 「マーク・ロスコの警句」

千葉県佐倉市坂戸に印刷インキや有機顔料、PPSコンパウンドで世界トップシェアを持つ化学メーカー、DIC株式会社の総合研究所があります。研究所に隣接する広い庭園と里山に囲まれた一廓にはサイロを思わせるしゃれた建物を擁するDIC川村記念美術館 (* 1) が建っています。

自宅からこの美術館までバイクで一時間とチョット、その収蔵品にはぬらくら子が好きな作家・作品が多いのでよく訪れます。

その一つが〈シーグラム壁画〉です。

1958年春、マーク・ロスコ (* 2) は、マンハッタンにできるシーグラム・ビル内のレストラン「フォー・シーズンズ」の一室を飾るために作品制作の依頼を受け、およそ一年半を費やして30点の絵を完成させます。

描き上がった作品の半数以上が横長の画面で、その多くは横幅が4.5メートルに及ぶものです。赤褐色に塗りつぶされた大きく四角な面を、それより少し明るい赤茶色や濃いオレンジ色の枠が囲むシンプルな造形、そこに残る刷毛目を追っていると画面に引き込まれそうになり、何かを問いかけられているような気持ちになります。

しかし完成したこれら一連の作品は「フォー・シーズンズ」の壁を飾ることはありませんでした。

それというのも、オープンした店を訪れたロスコが、店の雰囲気に幻滅して契約を破棄してしまったからです。

残されたロスコのスケッチには、これらの作品を隙間を空けずに連続して展示し、壁全体を作品にするような構想があったことが分かっています。このことから一連の作品はシーグラム・ビルの名にも因んで〈シーグラム壁画〉と呼ばれています。

行き場を失ってしまった作品群の内、1970年にロンドンのテイト・ギャラリー(現テイト・モダン)に9点が寄贈され、1990年には7点がDIC川村記念美術館に収蔵されることになります。

この二つの美術館はそれぞれの〈シーグラム壁画〉のために特別展示室を一部屋設け、常時展示公開しています。

アメリカのワシントンDCにあるフィリップス・コレクションの「ロスコ・ルーム」とヒューストンの「ロスコ・チャペル」にも〈シーグラム壁画〉のみを展示した空間があります。〈シーグラム壁画〉を常設展示している美術館は世界中でこのたった四カ所しかありません。

マーク・ロスコの死後、彼が書きためた遺稿を息子のクリストファー・ロスコが34年という歳月を費やして編集した「ロスコ 芸術家のリアリティ ―美術論集― (* 3) 」が出版されていますが、マーク・ロスコはこの本の中で自身の作品についてはひと言も語っていません。

この本の中に次のような一節があります。

『苦痛、欲求不満、死の恐怖などは、何よりも一貫して人類を結束させてきた要因なのだと思われる。共通の前向きな目標があることよりも共通の敵があることの方が、はるかに個々人の力を結びつけ、各人の特殊性を消し去る効果を持つものである。』

これは『情動的で劇的な印象主義』と題された章の中で、画家の主観的な気分と光の客観的な世界について書かれた文脈中の一文です。

絵画について述べている言葉なのですが、特に後半部分は今の世の中に引き当てて読んでも、鋭い警句になっていると思いませんか?

* 1) DIC川村記念美術館
1990年に開館したDIC株式会社が運営する美術館で、設計は海老原一郎。二十世紀美術を中心とした多彩なコレクションを持つ。
URL: http://kawamura-museum.dic.co.jp/

* 2) マーク・ロスコ(Mark Rothko 1903 - 1970)
本名 Markus Rotkovich。ロシア系ユダヤ人のアメリカの画家。抽象表現主義の代表的な画家の一人。

* 3) ロスコ 芸術家のリアリティ ―美術論集―
マーク・ロスコ:著、クリストファー・ロスコ:編集、中村和雄:訳、みすず書房 2009年:発行
ISBN 978-4-622-07435-9

タイトルの「ぬらくら」ですが、「ぬらりくらり」続けていこうと思いつけました。
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コンサルタント
mk88氏

PROFILE●1942年東京都生まれ。1966年桑沢デザイン研究所ビジュアルデザイン科卒。設備機器メーカー、新聞社、広告会社を経て、総合印刷会社にてDTP黎明期の多言語処理・印刷ワークフローの構築に参加。1998年よりダイナコムウェア株式会社に勤務。Web印刷サービス・デジタルドキュメント管理ツール・電子書籍用フォント開発・フォントライセンスの営業・中国文字コード規格GB18030の国内普及窓口等を歴任。現在はコンサルタントとして辣腕を振るう。
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