ダイナフォントストーリー

カテゴリー:連載コラム「ぬらくら」
2019/05/16

ぬらくら第97回 「モリソンとダイアの墓」

この記事は、株式会社印刷学会出版部が発行する「印刷雑誌」2019年3月号に掲載された記事に修整を加えたものです。
ひと頃『日本にもカジノを……』と言う話がありました。
近頃、話題に上りませんが、話は深く潜行して進んでいるのでしょうか?

カジノと言えばラスベガスにマカオにシンガポール。
昨年秋、そのマカオを十年ぶりに訪問しました。

十年前のマカオ、特にコタイ地区一帯は開発中で、掘り返された赤茶色の地表の上に、唯一、ヴェネチアン・マカオ・リゾートだけが華麗で豪華な佇まいを晒していたのを思い出します。

今はヴェネチアン・マカオ・リゾートの周囲にはザッと上げるだけでも、
ギャラクシー、
リッツ・カールトン、
フォー・シーズンズ、
スタジオ・シティ、
シェラトン・グランド・マカオ、
コンラッド・マカオ・コタイ、
ホリデイイン・マカオ・コタイ・セントラル、
セントレジスト・マカオ・コタイ・セントラル、
グランド・ハイアット・マカオ、
等々、カジノやカジノを備えたリゾートホテルが建ち並び、十年前とは別世界です。

さて、十年ぶりのカジノ詣での成果や如何。

西北大学芸術学院(中国西安)で教鞭を執りながら、中国語活字史を研究している孫明遠さんが『マカオに行くならロバート・モリソン (* 1) とサミュエル・ダイア (* 2) のお墓にお参りしてくるといいよ』と勧めてくれました。
モリソンもダイアも明朝体の源流を辿ってゆくと必ず出会う宗教家です。

孫さんはただ『外国人墓地のような所にある』と教えてくれただけで、なんとも漠とした大陸的な情報です。

マカオはさして広い所でもないし、何とかなるだろうとこちらも軽い気持ちでコタイのホテルを後にして、とりあえずシティー・オブ・ドリームズのシャトル・バスでマカオ半島に向かいます。

グランド・リスボアの前でシャトル・バスを降り、先ずはそれと思しき墓地のあるルイス・カモンエス公園を目指します。もちろん自分の足で。
同好の士は同じ職場のMさんとSくん。

澳門商業大馬路から南湾大馬路に出て亜美打利庇廬大馬路に入るとマカオ郵便局の前に出ます。
郵便局の隣はマカオ観光スポットの一つ、セナド広場です。

セナド広場を通り越して大街に入ると道は直ぐに上りにかかり、以後、ズッと上りです。

Sくんがスマートフォンで行く先を確かめながら進んでゆくと、道はドンドン狭くなり、人がすれ違うのがやっとという路地に入り、その先は行き止まり、……かと思ったら崖に付けられた石段がありました。

石段の上は花王堂街で、右手に見えてきたサンアントニオ教会の壁伝いに回り込むと、小さなバスロータリーがあり、その向こうにルイス・カモンエス公園の入り口が見えます。

その右に 「FUNDACA O ORIENTE 東方基金會」と掲げたサーモン・ピンク色をした可愛い門が見えますが、門は閉まっています。

▼東邦基金會
東邦基金會

『探している墓地がこの門の中だとすると、今日は見つけられないな。』

「東方基金會」の門のさらに右にヒソリと開いている小さな黒い門が見えます。
近づくと、その門の上に "PROTESTANT CHAPEL AND OLD CEMETARY [EAST INDIA COMPANY 1814]" と彫ってあります。

黒い門の門柱に貼られたステンレス板には「聖公會馬禮遜堂 Morrison Chapel」と刻まれています。
この門の奥にモリソン礼拝堂と墓地があるようです。
ステンレス板には「8時30分から17時30分まで公開」ともあるので、この小さな門を入ってみることにしました。

門を入ると直ぐ目の前に何とも可愛らしい白く塗られた小さな礼拝堂が建っています。

▼モリソン礼拝堂
モリソン礼拝堂

『なるほど、これがモリソン礼拝堂か。』

礼拝堂の入り口は鍵が掛かっているようで、扉の把手を回しても開きません。
ガチャガチャと把手を回す音が聞こえたのか、礼拝堂の裏の方で犬が吠え始めました。

周囲を見回すと、先ほどの門の内側の壁に掲げられた掲示板に「毎日曜日午前9時から聖餐式が行われる」とあったので、この時間に来れば礼拝堂に入れるようです。

モリソン礼拝堂の裏に、一段低くなった墓地が広がっています。
墓地の東半分は伸び過ぎた芝が一面を覆い、西半分は石畳が敷いてあります。
東西合わせて150基ほどの墓碑や石棺が並んでいるでしょうか、他に訪う人の姿もありません。

▼墓地
墓地

先ほどからの犬の吠え声を無視して礼拝堂の横手に設けられている広くてゆるい石段で墓地に降ります。

ロバート・モリソンの墓はここにあるはずです。

見落としてはいけないので、西側の墓地から一基一基の墓碑を見て行きます。"Robert" と彫られた墓碑も石棺もなかなか見つかりません。

石畳を見通すと西側の一番奥の突き当たりに門扉ほどの大きさの、作りも立派な墓碑が建っているのが見えます。この墓地で一番大きな墓碑のようです。

▼石畳
石畳

はやる気持ちを抑えて大きな墓碑に刻まれている名前を読むと、そこに彫られている名前は "GEORGE CHINNERY (* 3)"、別人でした。

ここから芝に覆われた東側の墓地に下ります。

期待を裏切られつつも諦めずに、一基ずつ墓碑に刻まれた名前の中に "Robert" を探し続けます。

刻まれた文字が判読すらできないほど薄れてしまった墓碑もあり、"Robert" 探しは思うように進みません。

『ありましたよ~』という声は先に東側の墓地に下りていたSくんです。声の方を見ると墓地の東外れの辺りです。

そこにはこの墓地に並ぶ最後の石棺数基が並んでいました。

▼モリソンとダイアの墓
モリソンとダイアの墓

そこに見つかったのは案に相違して "Sumuel Dyer" の名前でした。
石棺の側に幅30センチメートル、高さ40センチメートルほどのステンレス製の立て札が立っています。上段には中国語で、下段には英語で次のように記されています。

 

追 念
台約爾牧師
馬亜的父親
戴徳生的岳父
「他們雖至於死、也不愛惜生命。」
啓示録十二章11節
「任何使我無法為中國捨身的意念、都會令我極其沮喪。」
台約爾
戴徳生子孫敬立
二〇〇六年

IN REMEMBERANCE OF
Sumuel Dyer
Father of Maria Dyer Tayler
Father-in-law of J. Hudson Tayler
"They did not love their lives so much as to shrink from death"
Revelation 12:11
"If I thought anything could prevent my dying for China, the thought would crush me"
Sumuel Dyer
BY THE DESCENDANTS OF J. HUDSON TYLER
-- 2006 --

 

石棺の蓋の表面には次のように刻まれています。
 

SACRED TO THE MEMORY
OF
THE REV SAMUEL DYER
Protestant Missionary to the Chinese,
Who for 16 years devoted all his energies
to the advancement of the Gospel
among the emigrants from China
settled in Pinang Malacca and Singapore.
As a Man, he was amiable & affectionate,
As a Christian, upright, sincere, & humble-minded,
As a Missionary, devoted zealous, & indefatigable.
He spared neither time, nor labour nor property,
in his efforts to do good to his fellowmen.
He died in the confident belief of that truth
which for so many years he affectionately & faithfully
preached to the Heathen.
He was born 20 February 1804,
Sent to the East by the London Missionary Society in 1827
And died at Macao, 24 October. 1843.
---…---
For if we believe that Jesus died and rose again,
even so them also which sleep in Jesus
will God bring with him.

 

▼サミュエル・ダイアの墓
ロバート・モリソンの墓

この墓地にロバート・モリソンの墓を探しに来て、何処にあるのか定かでは無かったサミュエル・ダイアの墓に出会えてラッキーでした。

残る数基の石棺の中にロバート・モリソンの墓が見つかるのだろうか?
なんと最後に見た石棺の蓋に “ROBERT MORRISON” と刻まれています。
モリソンとダイアはこの一角に並ぶようにして眠っていました。

二人の墓が並んでいるのを見つけたときはチョット感動でした。
それにしても孫さんは人が悪い、一言『モリソンとダイアの墓は並んでるよ』と言ってくれればこれほどハラハラせずに探せたのに。

ロバート・モリソンの石棺の蓋には次のように刻まれています。

 

SACRED
TO
THE MEMORY
OF
ROBERT MORRISON DD.,
The first Protestant Missionary to
CHINA,
Where after a service of twenty-seven years,
cheerfully spent in extending the kingdom of the blessed Redeemer
during which period he compiled and published
A DICTIONARY OF THE CHINESE LANGUAGE,
founded the Anglo Chinese College at Malacca
and for several years laboured alone on a Chinese version of
THE HOLY SCRIPTURES,
which he was spared to see completed and widely circulated
among those for whom it was destined,
he sweetly slept in Jesus.
He was born at Morpeth in Northumberland
January 5 1782
Was sent to China by the London Missionary Society in 1807
Was for twenty five years Chinese translator in the employ of
The East India Company
and died in Canton August 1st 1834.
---…---
Blessed are the dead which die in the Lord from henceforth
Yea saith the Spirit
that they may rest from their labours,
and their works do follow them.


▼ロバート・モリソンの墓
ロバート・モリソンの墓

何処へ行っても変わらないのが墓地につきものの蚊。
モリソンとダイアの墓を見つけるまでに、気がつけば首筋や腕のあちこちがプックリと赤く腫れています。ここに来て急に痒くなってきました。

カジノでの成果よりも何よりも、モリソンとダイアに巡り会えた実り多いマカオ再訪でした。

* 1) ロバート・モリソン(Robert Morrison, 馬礼遜, 1782 - 1834)
イギリスのロンドン伝道協会の宣教師で、中国に渡った最初のプロテスタントの宣教師。 イギリス東インド会社の通訳官となったモリソンは、世界初の英-中・中-英の『中国語字典』をマカオで刊行している。
1834年、東インド会社の一員として広州へ赴いたが、そこで病死しマカオに葬られた。 中国語訳聖書を最初に出版した人としても知られている。

* 2) サミュエル・ダイア(Samuel Dyer, 台約爾, 1804 - 1843)
英国プロテスタント・クリスチャン協会の宣教師。中国人社会で活動した人。
それまでの漢字の木活字に代わる評価の高い金属活字を作ったことでも知られている。
1843年、広州を訪れた際に重篤な病に倒れマカオに連れ戻されるがそこで亡くなった。

* 3) GEORGE CHINNERY (1774 - 1852)
イギリス生まれの画家。その人生の大半をインドや中国南部で過ごした。特に没するまでの25年間はマカオを拠点に活動した。

タイトルの「ぬらくら」ですが、「ぬらりくらり」続けていこうと思いつけました。
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mk88氏

PROFILE●1942年東京都生まれ。1966年桑沢デザイン研究所ビジュアルデザイン科卒。設備機器メーカー、新聞社、広告会社を経て、総合印刷会社にてDTP黎明期の多言語処理・印刷ワークフローの構築に参加。1998年よりダイナコムウェア株式会社に勤務。Web印刷サービス・デジタルドキュメント管理ツール・電子書籍用フォント開発・フォントライセンスの営業・中国文字コード規格GB18030の国内普及窓口等を歴任。現在はコンサルタントとして辣腕を振るう。
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