ぬらくら第93回 「紙面のノイズとリズム」
何時だったか、セミナー後の懇親会か何かの席で鳥海さん(* 1)が、この通りではありませんが、 こんな意味のことを言っていたのを、Type& 2018(* 2)の会場で思い出しました。
2020年に開催される予定で準備が進む東京でのオリンピック大会は二回目です。
第一回目は1964年でした。
当時、ぬらくら子は未だグラフィックデザインの世界に首を突っ込んだばかりの学生でした。
1950年代以降、当時の日本のグラフィックデザイン界はスイスタイポグラフィー(* 3)に憧れ、強い影響を受けていました。
日本のグラフィックデザイン誌などが紹介する欧米のそれは、紙面をレイアウトする手法の一つ 「グリッドシステム(* 4)」でレイアウトされ、ベルトールド活字鋳造所(* 5)のサンセリフ書体、 アクチデンツグロテスク(Akzidenz Grotesk)で組まれた、均一なグレートーンが眩しく羨ましくもありました。
漢字より一回り小さな文字面の仮名を持つ日本語の活字を使った組版は、活版印刷故のマージナルゾーン(* 6)の影響もあって、 刷り上がった紙面は均一なグレートーンとは言いがたい濃淡やザラつき感のある紙面でした。
1964年の東京オリンピックを境にして、それまで主流だった活版印刷に替わってオフセット印刷の普及が進みます。
同時に写真植字(* 7)も普及していきます。
オフセット印刷は刷版上の画像を一度ゴムのブランケットに転写し、その画像をさらに印刷用紙に転写させるので紙面に印圧がかからず、 文字の周囲にマージナルゾーンも発生しません。版と印刷用紙の間にゴムのブランケットが介在するために印刷紙面はノッペリとしています。
写真植字による組版では、文字のブロックを際立たせるために字間を詰めるツメ打ちが一世を風靡しました。
オフセット印刷によるマージナルゾーンの無い印字とフラットな印刷紙面、ツメ打ちによって見せる しっかりしたグレートーンの文字ブロック、それでもスイスタイポグラフィーからはほど遠いものでした。
オフセット印刷の刷版は写真植字→版下→フィルム製版という手順を踏んで作られますが、 この手順が1900年代後半に入るとDTP(Desk Top Publishing/Prepress)に取って代わられていきます。
活版印刷の時代の書体は明朝体、ゴシック体、丸ゴシック体、楷書体、宋朝体、行書体、 草書体、隷書体と挙げればこれが全てと言えるほどの数しかありませんでした。
DTPの普及が進むとグラフィックデザイン界は新しい書体の登場を渇望します。
写真植字の時代にもそうした空気は漂っていましたが、DTP時代になるとこの動きは一気に加速します。
DTPで利用できる書体の開発が比較的容易だったこともあって、新書体登場の要望に応えるように年を追う毎に新書体が増えていきます。
新しい書体、それも本文を組むための書体のデザインが前述のスイスタイポグラフィーの影響を受けたどうか定かではありませんが、 漢字と仮名の大きさに差が少ない、仮名のフトコロが大きな明るい表情をした書体が増えていきます。
今や日本語のフォントだけでも二千書体を越え三千書体に迫ろうとするまでに増えていると言われています。
オフセット印刷と明るい表情の本文書体で印刷された紙面は、活版印刷によるそれとは比較にならないほど滑らかなグレートーンを見せています。
今年の "Type& 2018" で取りあげられたテーマの一つに「文字を中心にユニバーサルデザインを考える」がありました。
講師は二人。
一人はタイポグラフィックデザイナーのアンベセマン(* 8)さん、もう一人はグラフィックデザイナーの高橋貴子(* 9)さん。
ベセマンさんからは、文字を読むのに困難を伴う人たちにとって、どのような書体が読みやすいのかを調査・研究した成果が発表されました。
ベセマンさんの調査・研究によれば、バーやステムが水平・垂直にデザインされている一般的な書体を使った紙面よりも、 これらを少し傾けたり、ストロークの太さに変化を付けたりした文字を混ぜた書体で組んだ紙面の方が、 読みやすさという点で評価が高かったという結果が出たそうです。
上記の検証に利用された書体で組んだ紙面は、一般的な書体で組んだ紙面よりもノイズの多い紙面になり、 その分、それを読む人の視覚に引っかかりのようなものが生じるためだという説明でした。
高橋さんからは視覚障害といっても色々あると言うことや点字についての解説があり、続けて低視力の人たちに 三つの書体の中から一番読みやすい書体を選んでもらった意外な結果の発表がありました。
その三つの書体とは、
1.漢字に対して仮名が小さな書体
2.漢字に対する仮名の大きさが1.と3.の中間の書体
3.漢字と仮名がほぼ同じ大きさの書体
被験者たちが選んだ一番読みやすい書体は1.の書体で、一番読みにくかったのは3.の書体というように、上に挙げたリストの順だったそうです。
高橋さんは、1.の書体で組んだ紙面は漢字と仮名の大きさの違いから、紙面に濃淡が生まれ、それがリズムとなって読みやすさに繋がっているようだと分析していました。
同時に複数のグラフィックデザイナー(晴眼者)を対象にして同じ検証を行ったところ、3.2.1.と低視力の人たちが選んだ書体とは全く逆の順になったそうです。
それぞれ検証の手法や表現は違いますが、ベセマンさんの発表も高橋さんの発表も、冒頭で触れた鳥海さんが漏らした一言も、 読みやすいフォントとはどのようなフォントなのかに対する貴重なヒントを含んでいるようです。
* 1)鳥海さん
鳥海 修(とりのうみ おさむ)。
書体設計士。ヒラギノシリーズ、こぶりなゴシック、游明朝体、游ゴシック体などの書体開発に携わる。 また、弊社の新宋体、痩金体、魏碑体、隷書体、麗雅宋の制作を担当。 2002年に第一回佐藤敬之輔顕彰、ヒラギノシリーズで2005年グッドデザイン賞、 2008東京TDC タイプデザイン賞を受賞。京都精華大学特任教授。字游工房代表取締役。
* 2)Type& 2018
Monotype社が主催するフォントとタイポグラフィーに関するセミナー。
* 3)スイスタイポグラフィー
国際タイポグラフィー様式 (International Typographic Style) と呼ばれることもある。
清潔感・可読性・客観性を追求したグラフィックデザインの様式。1920年代にオランダ、ドイツで始まり1950年代にスイスで発展した。 建築や芸術を含むあらゆるデザイン分野に影響を与えたモダニズム運動の一部で、グラフィックデザインにも多大な影響を与えた。
* 4)グリッドシステム
格子状のガイドラインを活用した紙面レイアウトの技法。
* 5)ベルトールド活字鋳造所
ドイツの活字会社。現ベルトールドテクノロジーズ社
* 6)マージナルゾーン
Marginal Zone。
版の凸部に着いたインキを紙に転写させると、インキが印圧によってはみ出すため文字や画像の周りに濃い輪郭ができる。 この文字や画像の縁にできるインキが濃くなった輪郭部のこと。
* 7)写真植字
略して写植とも呼ばれる。 活字を組む代わりに写真の原理を用いて、陰画像の文字原版の文字を印画紙に印字する方法。
* 8)アンベセマンさん
アンベンセマン(Ann Bessemans)。
ベルギーのタイポグラフィックデザイナーでレジビリティスペシャリスト(Legibility Specialist/文字の読み易さに特化した専門知識を持つ)。
*9)高橋さん
高橋 貴子(たかはし たかこ)。
グラフィックデザイナー。2005年に結成された出版UD研究会の発起人。カラーユニバーサル機構(CUDO)でカラーユニバーサルデザイン推奨配色セットの選定に参加。
タイトルの「ぬらくら」ですが、「ぬらりくらり」続けていこうと思いつけました。
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コンサルタント
mk88氏
PROFILE●1942年東京都生まれ。1966年桑沢デザイン研究所ビジュアルデザイン科卒。設備機器メーカー、新聞社、広告会社を経て、総合印刷会社にてDTP黎明期の多言語処理・印刷ワークフローの構築に参加。1998年よりダイナコムウェア株式会社に勤務。Web印刷サービス・デジタルドキュメント管理ツール・電子書籍用フォント開発・フォントライセンスの営業・中国文字コード規格GB18030の国内普及窓口等を歴任。現在はコンサルタントとして辣腕を振るう。
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