ダイナフォントストーリー

カテゴリー:連載コラム「ぬらくら」
2018/08/14

ぬらくら第89回 「反射光と透過光の文字」

二十世紀最後の年2000年。
この年、全島民の避難を余儀なくされた三宅島雄山の大噴火があり、ロシアではウラジーミル・プーチンが大統領に初当選している。

同じ年に、大手の文芸出版社八社(* 1)による「電子文庫出版社会」が設立されている。
同年、同会が開設した「電子文庫パブリ(* 2)」は、出版社自身の手による電子書籍販売Webサイトとしては嚆矢といっていいだろう。

電子文庫パブリに参加した出版社の中には、電子書籍の制作工程で紙を使わないという方針を打ち出す所もあったようだ。
長年、編集を仕事にしてきた知人もその影響をもろに受けた一人だった。

彼曰く『パソコンのモニター上での校正は紙に印刷された校正紙で校正するより見落としが多いのは何故だろう? 校正の仕事もやりにくいし……』と言っていたが、ずっと、その「何故だろう?」が頭の片隅に引っかかっている。

紙に印刷された校正紙は反射光で文字を読み、パソコンのモニターは透過光で文字を読む。 この違いが生理的に何か違いを生んでいるのだろうか?

今も答えが見つかっていない。

そんなことが頭をよぎったのはケヴィン・ケリーが書いた「<インターネット>の次に来るもの(*3)」の「4.スクリーニング」の次の個所を読んでいるときだった。

『われわれのこの新しい活動は、読書(リーディング)というよりは「画面で読む(スクリーニング)」と呼ぶ方が正しいだろう。(中略)スクリーン上で言葉は勢い良く動きまわり、画像の上を漂い、注釈や説明となって、他の言葉やイメージへとリンクされていく。』

印刷された文字はシッカリと紙に張り付き、何度でも指でなぞることができ、実体を伴っている。
ページを前後に移動しても、それまで見ていたページは目の前に物として存在している。

パソコンのスクリーンやスマートフォンのディスプレイ上の文字は表示されているだけだ。 スクロールすれば新しいページに書き換えられる、一過性の儚いものだ。
ページを移動すれば、それまで見ていたページはスクリーンから消える。

赤字を入れたり、他のページに書かれている部分と比較したり、という仕事はスクリーン上でもできる。

……が、一度に全体を見渡すことはできない。

文字を覚えるときに鉛筆で紙に何度も繰り返し書く。これは何歳になっても変わらない気がする。
知らなかった漢字や英単語をキーボードで打って、スクリーン上に表示してもなかなか覚えられない。

文字は手先で書いて初めて頭の中に定着するのかもしれない。
このことと、冒頭に書いた編集者の呟きは、繋がっている気がする。

* 1) 文芸出版社八社(以下あいうえお順)
角川書店、講談社、光文社、集英社、新潮社、中央公論、徳間書店、文藝春秋

* 2) 電子文庫パブリ
https://www.paburi.com/paburi/
現在その運営は「一般社団法人 日本電子書籍出版社協会」に移管されている。

* 3) <インターネット>の次に来るもの
ケヴィン・ケリー 著/NHK出版 発行/2016年7月25日 発行
ISBN978-4-14-081704-9 C0098

タイトルの「ぬらくら」ですが、「ぬらりくらり」続けていこうと思いつけました。
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  著者 Information

ダイナコムウェア コンサルタント
ダイナコムウェア コンサルタント
mk88氏

PROFILE●1942年東京都生まれ。1966年桑沢デザイン研究所ビジュアルデザイン科卒。
設備機器メーカー、新聞社、広告会社を経て、総合印刷会社にてDTP黎明期の多言語処理・印刷ワークフローの構築に参加。
1998年よりダイナコムウェア株式会社に勤務。Web印刷サービス・デジタルドキュメント管理ツール・電子書籍用フォント開発・フォントライセンスの営業・中国文字コード規格GB18030の国内普及窓口等を歴任。
現在はコンサルタントとして辣腕を振るう。

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