小宮山博史「活字の玉手箱」
2018年06月28日

明朝体漢字活字の開発 連載第12回

小宮山博史

五号・11ポイント

 いままで見てきた18世紀以降の明朝体のなかで、もっとも完成度が高く、一層の小型サイズの明朝体が開発されました。
 これを計画実行したのがウイリアム・ギャンブルです。ギャンブルは1858年10月印刷技師として寧波の長老会印刷所華花聖経書房に着任します。ギャンブルを宣教師と書く文章もあります。聖職者には尊称であるRev.(Reverendの略、…師)をつけるのが普通ですが、ギャンブルはMr.と書かれていますので宣教師ではありません。
 着任するとすぐに中国人学者二人を2年の契約で別々に雇い、「以前からある漢字の配列をある程度改良し、康熙字典に含まれる40,919文字のうち何字が通常使われるのか、とりわけ伝道にたずさわる人々が使用、発行した著作物に使用されているのかを突き止める目的」で、書房が印刷した聖書1冊とその他の27冊の書籍に使われている漢字の使用頻度調査を依頼します。これは連載10回に書いたダイアが14種の書籍を使って行った漢字使用頻度調査報告書『A SELECTION OF THREE THOUSAND CHARACTERS BEING THE MOST IMPORTANT IN THE CHINESE LANGUAGE』(中国名『重校幾書作印集字』)を念頭において、それよりも詳細な漢字の使用頻度を知ろうという計画を赴任前に持っていたことがわかります。ギャンブルは周到な計画をもって寧波に赴任したのでしょう。
 1860年12月、書房は上海に移転し美華書館と改称します。調査は寧波時代に終り、翌61年ギャンブルは漢字使用頻度調査報告書『TWO LISTS OF SELECTED CHARACTERS, CONTAINING ALL IN THE BIBLE AND TWENTY-SEVEN OTHER BOOKS, WITH INTRODUCTORY REMARKS』を刊行しています。これは214部首に配列したものと、15グループに分類された使用頻度の2種類のリストからなり、前にお話ししたベルリンのバイエルハウス制作の22ポイントで組んでいます。
 最も使用頻度の高い漢字は第1グループで、10,000回以上出現する「不之人以其我於曰爲爾者而耶」の13字です。次の第2グループは1,000回から10,000回出現する漢字で224字。
 この使用頻度調査の28冊に使われている漢字の総数は1,166,335字でしたが、文字種はわずか5,150字にすぎませんでした。これにロンドン伝道会のフォントリストにはあるが、書房の印刷物に使われていない漢字850字を加えて、一書体を6,000字とします。
 ギャンブルはこの調査をもとに新しいサイズの明朝体の開発を開始します。ただ、この調査に使った書籍が布教書にかたよっていたこともあり、一般書では使用頻度がほとんどない漢字が上位にきたり、必要な文字がないという欠陥もあったようです。そのためか一書体の漢字数はのちに6,664字に増加していきます。しかしこれは画期的な調査でありました。
 使用頻度調査は寧波時代に終了し、開発開始は移転後ある程度落ちついてからであったと思われます。


明朝体漢字活字の開発連載第12回画像1

 新刻を開始した活字は五号・11ポイントです。この当時美華書館が所有していた漢字活字は、ダイアの一号・24ポイント、バイエルハウスの二号・22ポイントとフランスの三号・16ポイントの3サイズでした。上海の墨海書館が閉鎖するにあたって機材を売却したのは61年から64年の間で、美華書館が四号・13.5ポイントを使い出したのは64年です。ギャンブルが計画した五号・11ポイントというサイズはどのような理由で採用したのかわかりません。ただ開発を進めようとする段階で四号の購入は既定のことであったと思われますので、それより小さくて既存のサイズと倍数関係が成立し、かつ大きさの段階が自然に見えるサイズを意識したのではないかと思います。それと欧文書体との混植への配慮も当然念頭にあったと思われます。
 活字のサイズが小さくなれば本自体のサイズも小さくなります。聖書がポケットサイズになることで今まで以上に大量に印刷・刊行できますので、布教活動を助けることが最大目的の教団印刷所としては願ってもないことであったかもしれません。たとえば各サイズで印刷された『新約全書』をならべてみれば、五号・11ポイントで印刷された聖書の小ささがよくわかります。
 前述の王韜の『瀛儒雑志』巻六にギャンブルのことが少し載っています。

「墨海書館はのちに廃業し、アメリカ人江君が南門外に美華書館を別に開き、造字製版した。それは化学的で実に最新の方法である。西国の印刷機が大小二種あり、大型は牛が動かし、小型は人がひく。ひく者もたいへんてきぱきとよくやっている。百元足らずで買ったという。」
(原文「墨海后廃、而美士江君、別設美華書館于南門外、造字制板、悉以化学、実為近今之新法。按西国印書之器、大小二種 : 大以牛運、小以人挽。人挽者、亦殊便捷 ; 不過百金可得一具云。)

「江君」はギャンブルのことです。ギャンブルは種字用父型を金属材から木材に変更するという、画期的な転換を行っています。これも着任前に考えていたことだと思います。グーテンベルク以降欧米の伝統的かつ一般的な父型は軟鉄に凸刻し、焼きを入れて硬度をあげてのち母型材に打ち込むパンチ法でした。この方法は画数の少ないラテンアルファベットにはむいていますが、一画から数十画に分布する複雑な漢字にはむきません。特に小さいサイズでの軟鉄への彫刻は難しい。木材という軟らかい材質への変更は彫刻をたやすくし、その結果精緻で細部まで配慮の行届いた父型を生み出しました。木版彫刻では長い歴史を持ち、また木活字も使っていましたので中国人彫師にとって木彫種字はたやすいものであったに違いありません。
 凸刻された木彫種字をある程度組んで蜜蝋に押しつけて凹の蝋形を作り、そこに銅メッキをおこなうと凸の銅片ができます。それにもう一度銅メッキをして凹の薄い銅片を作ります。その裏に亜鉛を流し込んで補強し、一字一字を切り離して真鍮の母型材に嵌め込んだものが電胎母型といわれるものです。わたしは電胎母型法をいつ誰が発明したかわかりませんし、活字母型を製作する目的で開発された技術かどうかもわかりません。ギャンブルは来華の前にフィラデルフィアで印刷に従事していますので、そのときに知ったと思われる技術を活字制作に援用したのではないでしょうか。いずれにしても木彫種字・電胎母型法は、それまでの書体をはるかに超える精度と品質を生み出し、優れた姿形の明朝体を作り出す結果になったことは間違いありません。
 美華書館はその開発に1年半程度をかけたと思われます。種字を彫ったのは寧波の王鳳甲であると台北の蘇精先生に教えていただきました。想像をたくましくすれば、ギャンブルは五号を開発するにあたって寧波の木活字の彫師何人かに試作を依頼したはずで、その中からもっとも優れた彫師として王鳳甲を選んだに違いありません。王鳳甲は半年ほど遅れて上海にやってきたそうです。
 張秀民先生によれば、清代、木活字による家譜・族譜の印刷は江蘇省、安徽省、浙江省がもっとも多く、そのなかでも浙江省紹興府と安徽省常州府が突出していたといいます。紹興に近い寧波にも多くの彫師がいたと考えられます。
 彫師が一日に種字を彫る数は15字から20字程度ではないでしょうか。漢字使用頻度調査で割出した6,000字を彫るには一年以上の時間が必要であったと思われます。
 この五号が最初に使われたのは1864年1月刊の小型本『新約全書』ですので、1863年末には完成していたはずです。


明朝体漢字活字の開発連載第12回画像2

 そしてこのあと木彫種字・電胎母型法で新刻の二号の開発に乗り出したのでしょう。その完成時期は前にお話しした『教会新報』に最初の販売広告が出稿された1868年であると思います。
使用頻度調査は、一書体としてそれぞれの文字が何字必要かを算出する根拠になります。活字の鋳造はやみくもにおこなうものではなく、活字の配当表にあわせて適量を鋳造して準備、あるいは販売することで工業製品になります。この配当表がフォントスキーム(Font Scheme)です。そして配当表にあわせて活字ケースに配列することで文選の手間も軽減されます。ギャンブルの「活字の配列をある程度改良する目的」は、使用頻度調査の結果をもとに活字の配列とケースの配置に生かされています。
 美華書館の活字ケースは「常用」「備え用」「稀用」の3種に分類してあります。ケース架はの字の形に配置され、文選工は中央に立って活字をひろいます。正面の活字ケースは左右4枚上下6段の24ケースで構成されており、中央2段8枚が「常用」、その上2段と下2段が「備え用」であり、両脇に配置されているのが「稀用」の活字ケースです。この活字ケースは「元宝式活字ケース架」、俗に「三角ケース架」とか「升ケース架」と呼ばれ、上海の印刷所ではよく使われていたようです。


明朝体漢字活字の開発連載第12回画像3

 たとえば上海を拠点に全国に展開している商務印書館の広い文選場に設置されているこの活字ケース架を、商務印書館に勤務していたアメリカ人写真家フランシス・スタッフォード(Francis E. Stafford)は20世紀初頭に撮影しています(『20世紀初的中国印象』上海古籍出版社、2001年)。写真では鋳造部門にブルース型の手回し鋳造機が見られます。この部門の工員は1914年で50余人、年間の活字鋳造量は138,000ポンド(61,690キロ)とあります。商務印書館の創業は1897年で、1907年総廠を宝山路に作っています。総廠の500メートル東の北四川路には美華書館の印刷工場があります。
 五号・11ポイントの印刷物からの測定値は、1字あたり3.72ミリです。
 3.72ミリは、10.7フールニエポイント、9.9ディドーポイント、10.6アメリカンポイント相当です。

六号・5.5ポイント

 この活字の印刷物からの測定値は、一字あたり約1.9ミリです。この値は販売広告のコピーから測定したものです。念のために五号を測りましたが、印刷物とほとんど同じ値でしたから、コピーによる伸縮は大きくないものと判断しました。


明朝体漢字活字の開発連載第12回画像4

 五号の二分の一のサイズですからアメリカではルビー(Ruby)という名称でしょう。しかしこの活字について、制作に関する手がかりはまったくありません。五号が本文の1864年刊『新約全書』でのルビ扱いは、章の右肩に置かれた「節」を示す漢数字ですが、この販売広告にある漢数字と姿形がまったく違います。1.9ミリという小ささから、種字は軟鉄への凸刻ではなく木彫であろうと思います。とすればギャンブルの指示によって作られた可能性が高いのですが、残念ながら現在のところこのサイズの使用例を見つけられずにいます。96字が掲載されている活字販売広告の見本文字を見ても、漢数字を除けば聖書に関係ある漢字がほとんどですので、用意された文字種はわずかであったと思われます。
 角寸法1.9ミリは、5.5フールニエポイント、5.1ディドーポイント、5.41アメリカンポイントに相当します。

 一号から六号までのそれぞれの角寸法は、測定値から見ればフールニエポイントに近いのではないでしょうか。美華書館の活字サイズがなにに準拠しているかはわかりませんが、すくなくともアメリカンポイント制定以前のある鋳造所あるいは印刷機材製造所が基礎にしている規格によっていることには間違いないと思います。ではその規格のもとになったものはなにか。普通に考えれば、アメリカが国内で独自のポイントサイズを創造したものを使ったのか、あるいはヨーロッパ発祥のポイントサイズを導入したのち、各鋳造所や製造所によって若干の誤差が出ていたものを使ったのか、そのどちらかだと思われます。
 日本工業規格で活字の基準寸法が決められる以前は、号数制にしてもポイント制にしても各鋳造所で若干の差異が見られました。それを考えるとわたしは後者ではなかったかと思っています。

 

連載第13回へ続く

〈注- 本連載に使用した収蔵先の記載のない図版は、すべて横浜市歴史博物館収蔵本による〉


小宮山博史氏監修による企画展が開催!
当コラムを担当していただいている小宮山博史氏監修による横浜開港資料館の平成30年度第1回企画展示として「金属活字と明治の横浜 ~小宮山博史コレクションを中心に ~」が2018年4月27日(金)~7月16日(月・祝)まで開催されます。
「金属活字と明治の横浜 ~小宮山博史コレクションを中心に~」では、活版印刷で用いられる日本語の金属活字は、ヨーロッパで作られ、キリスト教のアジア伝道の中心であった中国を経て、長崎に伝えられました。活字と活版印刷術の導入は、日本の近代化に大きな役割を果たしましたが、本展示では金属活字の誕生から日本への伝播、そして横浜における普及の歴史を活字書体史研究家・小宮山博史氏のコレクションを中心にたどります。
「金属活字と明治の横浜 ~小宮山博史コレクションを中心に~」の詳細はこちら

 
小宮山博史イラスト

illustration: Mori Eijiro

● 小宮山博史
国学院大学文学部卒業後、佐藤タイポグラフィ研究所に入所。佐藤敬之輔の助手として書体史、書体デザインの基礎を学ぶ。佐藤没後、同研究所を引き継ぎ書体デザイン・活字書体史研究・レタリングデザイン教育を三つの柱として活躍。書体設計ではリョービ印刷機販売の写植書体、文字フォント開発・普及センターの平成明朝体、中華民国国立自然科学博物館中国科学庁の表示用特太平体明朝体、大日本スクリーン製造の「日本の活字書体名作精選」、韓国のサムスン電子フォントプロジェクトなどがある。武蔵野美術大学、桑沢デザイン研究所で教鞭をとり、現在は阿佐ヶ谷美術専門学校の非常勤講師。印刷史研究会会員。佐藤タイポグラフィ研究所代表。著書に《本と活字の歴史事典》、《明朝体活字字形一覧》、《日本語活字ものがたり─草創期の人と書体》などがある。

小宮山博史氏イベント情報
2018年4月27日から7月16日まで小宮山博史氏監修による横浜開港資料館の平成30年度第1回企画展示として「金属活字と明治の横浜 ~小宮山博史コレクションを中心に~」が開催されます。 詳細はこちら


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