連載コラム
2017年07月19日

ぬらくら 第76回 精興社青梅工場

6月某日(水)、水道橋駅を出て四ッ谷駅で快速電車に乗り換え、東青梅駅まで一時間二十分余り、東青梅駅の改札口前で全員が集合。今日の一行はぬらくら子の他に出版社の編集者、印刷会社の営業マン、ソフトウェア開発会社役員、国立大学研究員、フリーランス編集者など15人は多士済々。

改札口を出て人気の無い駅前ロータリーを横切り成木街道に入る。
人一人がやっと通れるほどの細い歩道を、列をなして行く一行の背中を押すように、あるいは前方から一行の列をあおるようにして、ダンプカーばかりが行き交う成木街道を十五分余り北に向かう。分譲住宅の間に覗く休耕田のあちらこちらでカエルが鳴いている。

精興社の青い案内板が立っている所まで来ると、玉砂利が敷かれた空き地の奥に緑の小山を背にして白い二階建ての建物が建っている。精興社の青梅工場だ。
案内を乞う間もなく門の前でOさんの出迎えを受け、一行は大きな集会室に通されて同社の概要を伺う。

今日の訪問の目的はこちらに保存されている活版印刷設備を見せていただくためなのだが、『折角なので先にオフセット印刷工場も見て行ってください』というOさんのありがたい言葉に一同異存なし。

最初に案内された原稿制作部門では古文書を読み解くエキスパートに出会ったり、30年以上も前の文字入力校正システム "SAZANNA SW313"が、それも三台も現役で稼働していたり、パソコンに8インチ・フロッピーディスク・ドライブが繋がっていたりと、驚かされることが多く、一行は今日の見学の本命である活版印刷設備を見せていただく前にここで大いに盛り上がる。

"SAZANNA SW313"が写研から発表されたのは1983(昭和58)年、その当時は、AppleがLisa2を、日本IBMがMultistation 5550を、そしMS-DOSのバージョンが2.0になった頃、パソコンの世界では大昔だ。

渡り廊下を移動しながら刷版室に入ると黄土色に変色した見るからに古いフィルムでPS版(印刷用のアルミ板)に印刷イメージを焼き付けている。
露光機も古く補修がきかないのでベテランの職人のみが操作しているそうだ。

印刷用の版下がDTP(Desktop Publishing)で制作され、そのデータから直接製版フィルムに出力されるCTF(Computer To Film)の時代もあったが、今や直接PS版に印刷イメージが出力されるCTP(Computer To Plate)の時代、古いフィルムでPS版を焼いている光景はまさにタイムスリップだ。
もちろん隣の部屋では最新のCTP が稼働していた。

印刷機が設置されている工場の入口は幅3メートル、高さ4メートルほど、その前に人が立つと黄色いシャッターが素早く上下して入口を開閉している。
工場内の温度と湿度を一定に保つためだ。
積み上げられた紙の匂いや印刷機が回る音が我が前職を思い起こさせる。

敷地内に建つ活版印刷設備が保存されている別棟は瓦屋根の平屋、入口に太いゴシック体で白く「活版印刷展示室」と書かれた表札がかかっている。
ガラス戸を引くと右手には組み上がった版を保存してあるラックが並び、その奥は母型ダンスが何段も重ねて置いてある。引き出しの一つを開けると大正から昭和にかけて書体設計・活字彫刻師として活躍した君塚樹石の手になる精興社書体(明朝体)がビッシリと並んでいた。
これらの精興社書体、現在はOpenTypeフォントとして同社の大きな資産になっている。
通路を夾んで左手には活字を納めたすだれケースと南京ケースが納まったウマが並んでいる。ウマが並ぶ光景は子供の頃に過ごした本郷菊坂町に多かった活版印刷の下請工場を思い出す。
冬の早い夕暮れ時、母親に豆腐などを買いに行かされた帰り道、平台の大きな活版印刷機が動く『ガラガラン・パタン、ガラガラン・パタン』という音に惹かれ、背伸びをして裸電球で赤く照らされたガラス窓から工場の中を覗いたものだった。

活版印刷展示室の奥には手フート(テキン)と "EXPRESS AII" と彫り込まれた鋳物の銘板も重々しげな菊半裁の活版印刷機が床に据えられている。この印刷機には "SAKURAI"と彫られた銘板もビス留めされていた。あいにくだがどちらも動かない。
その横にはこれも動かない活字鋳造機「林栄社 万年自動鋳造機」が並んでいる。

展示室の一番奥には、この年も春先までその上にかざした手を温めていたと思われる昔ながらの石油ストーブが置かれていた。

タイトルの「ぬらくら」ですが、「ぬらりくらり」続けていこうと思いつけました。
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  著者 Information

ダイナコムウェア コンサルタント
ダイナコムウェア コンサルタント
mk88氏

PROFILE●1942年東京都生まれ。
1966年桑沢デザイン研究所ビジュアルデザイン科卒。
設備機器メーカー、新聞社、広告会社を経て、
総合印刷会社にてDTP黎明期の多言語処理・印刷ワークフローの構築に参加。
1998年よりダイナコムウェア株式会社に勤務。
Web印刷サービス・デジタルドキュメント管理ツール・電子書籍用フォント開発・
フォントライセンスの営業・中国文字コード規格GB18030の国内普及窓口等を歴任。
現在はコンサルタントとして辣腕を振るう。
Blog:mk88の独り言