連載コラム
2016年02月01日

ぬらくら 第61回 書体を作る職人

「ミーツ・ザ・アーティスト」と言うタイトルの、シリーズで開催されている講演会があります。

この講演会がユニークなのは講師が話をするだけではなく、専門家としてのその実技を披露するところにあります。過去には、宮大工や装丁家、美術品 梱包輸送業、サウンド・アーティスト、造園家、ファッション・デザイナー など多岐にわたる分野で活躍している人達が講師を務めているようです。

「ミーツ・ザ・アーティスト」は盛岡市の中央公園にある岩手県立美術館(*1)が 同美術館を会場として企画している講演会です。

昨年(2015年)11月末に「ミーツ・ザ・アーティスト」のプログラムとして 「書体をつくる職人 鳥海修(*2)の“日本人にとって文字は水であり米である”とは」 という長いタイトルの講演がありました。

会場のホールは講師の姿が見える前にすでに一杯です。

会場に並べられた椅子の数が足りなくなり、美術館の係の方があたふたと椅子を 追加して並べていました。講演会の後で伺ったところ100人を超える聴講者だったそうです。文字に関する講演会としては大盛況だったと言えるでしょう。

講師の鳥海修さんは、ご自身のことを書体設計士と呼ぶ、日本書体デザイナーの第一人者です。ヒラギノシリーズや游書体ライブラリーのフォントは鳥海さんの手によるものです。

ダイナコムウェアの次の5書体のカナも鳥海さんに担当していただいたものです。  
DFP新宋体  
DFP痩金体  
DFP魏碑体  
DFP隷書体  
DFP麗雅宋

さて、その「書体を作る職人」の話です。

司会者の声に促されて話し始める鳥海さん。
講演は何時も、ご自身が生まれ育った山形県の鳥海山の話から始まり、何故、 書体の設計を生業とするに至ったのか、その時々のエピソードを交えながら話進んで行きます。会場が笑いに包まれる頃、集まった人達はすっかり鳥海さんの世界に引き込まれています。

一通り話し終えたところで、いよいよ文字のデザインの実技披露です。

実技の披露に入る前に鳥海さんが会場に向かって、

『何という字を書いて欲しいですか?』
『ひらがなを一字挙げてください』

と、問いかけながら最前列に座っていた男の子(中学生かな? 何でここに居るの?) を指名すると、彼はモジモジしながら小さな声で、

『こ』
『なぜ“こ”なの?』
『テストでハネるのを忘れてバツになる“こ”の字が嫌い、ハネのない“こ”を作って欲しい』

なるほど、しっかりした理由がありました。
緊張している少年の気持ちを上手にほぐしながら、文字デザインに必要な コンセプトを聞き出す鳥海さんは正しく書体設計士です。

リクエストを受けて文字をデザインする段になると、鳥海さんと机は会場にいた 大方の人たちに擂り鉢状に囲まれ、その中に埋まってしまいます。

まっさらな方眼紙にデッサンした「こ」に溝引きで墨を入れてゆく鳥海さんの手元に、 周りを囲んだ人達の目は釘付けです。文字のデザインに使っている筆や溝差しの説明を しながら手を動かし続けます。時たま出てくるのは目を釘付けにされた人達の『オーッ』 という溜め息のような感歎ばかりです。

完成までおよそ20分、描き上がった「こ」を実物投影機でスクリーンに映し出すと、 会場からは拍手がわき起こります。
日々意識することなく使い食す水と米のように、 日々意識することなく使っている文字も、こうして一文字一文字作られていることを知るとき、今日の講演会のタイトルが見えてきます。

講演の終了を告げる司会者の声を後に名残惜しげに会場を去る人達は、今日、間違いなく文字が「水であり米である」ことを実感しながら帰途についたことでしょう。

講壇の机では鳥海さんが描き上がったばかりの「こ」の脇に、少年の名前とご自身の署名を入れています。サインの入った「こ」をプレゼントされて喜んでいる少年の横で、 ことの成り行きに驚くばかりのお母さんの姿が印象的でした。

「こ」をリクエストした少年に鳥海さんが訊いたところ、中学生だそうでお母さんのお供で会場に来ていただけだったようです。

世界に一枚しかない鳥海修のオリジナルの「こ」を受け取った少年は、その瞬間に間違いなく「文字少年」になったのを確信しました。

そして、少年との記念撮影では少年よりも嬉しそうな顔をしていた鳥海さん。鳥海さんが「水であり米である」文字の途に入り、今日まで突き進んできたのは必然だったのではなかったかと思えてなりません。


*1 岩手県立美術館<https://www.ima.or.jp/>
2001年10月オープン。萬鐵五郎、松本竣介、舟越保武ら郷土の美術家たちの作品を収集・展示している。
所在地:〒020-0866 岩手県盛岡市本宮字松幅12-3

*2 鳥海修
書体設計士。山形県出身。多摩美術大学卒業。有限会社 字游工房 代表取締役。
大日本スクリーン製造株式会社のヒラギノシリーズ・こぶりなゴシック、 字游工房の游書体ライブラリーなどの書体開発に携わる。
第一回佐藤敬之助顕彰。ヒラギノシリーズで2005年グッドデザイン賞受賞。 京都精華大学教授。
有限会社 字游工房<https://www.jiyu-kobo.co.jp/>
タイトルの「ぬらくら」ですが、「ぬらりくらり」続けていこうと思いつけました。
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  著者 Information

著者
ダイナコムウェア コンサルタント
mk88氏

PROFILE●1942年東京都生まれ。
1966年桑沢デザイン研究所ビジュアルデザイン科卒。
設備機器メーカー、新聞社、広告会社を経て、
総合印刷会社にてDTP黎明期の多言語処理・印刷ワークフローの構築に参加。
1998年よりダイナコムウェア株式会社に勤務。
Web印刷サービス・デジタルドキュメント管理ツール・電子書籍用フォント開発・
フォントライセンスの営業・中国文字コード規格GB18030の国内普及窓口等を歴任。
現在はコンサルタントとして辣腕を振るう。
Blog:mk88の独り言

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