連載コラム
2016年09月26日

ぬらくら 第64回 変体仮名の標準化

痛い字というのがあります。

異体字でした。

「斉」に対する「齋・齊」
「辺」に対する「邉・邊」
「鴬」に対する「鶯」
「寿」に対する「壽」
「区」に対する「區」
「蛍」に対する「螢」

などがその一例です。
異体字とは標準の字体(*1)と同じ意味や発音を持つけれども字体が異なる文字のことです。

平仮名にも異体字があるのをご存じですか?

現代の平仮名表記は助詞の「は」と「わ」、「へ」と「え」、「を」と「お」などわずかな例外を除いて、“a” という音を表す字には「あ」を、“i” と言う音を表す字には「い」を、というように一つの音に対して一つの字が当てられています。

このような表記になったのは、仮名の長い歴史の中で見るとごく最近のことです。八世紀(奈良時代)から十九世紀末(明治末期)のおよそ千百年という長い間、一つの音に対して複数の字体が存在するのが仮名の姿でした。

仮名と呼んでいますがその姿は漢字です。
漢字の中に音読みや訓読みを借りて日本語の音を表記するのに用いられた漢字があります。それら一群の漢字は万葉集に多く用いられたことから万葉仮名(*2)と呼ばれています。

大辞林 第三版(三省堂)で万葉仮名を引いてみましょう。

まんようがな【万葉仮名】   
〔万葉集に多く用いられたところからの名〕   
日本語を表記するために表音文字として用いた漢字。平仮名・片仮名ができる以前、   
漢字の音や訓によって「波流(春)」「八間跡(やまと)」のように、その漢字本来の意味とは   
異なる日本語の音を書き記したもの。   
漢字の音を用いた音仮名、漢字の訓を用いた訓仮名、戯書などがある。   
普通は、一字で一音節を表すものをいう。五世紀頃の金石文に見え始め、   
上代には日本語を表記するのに広く用いられた。   
中古において平仮名・片仮名が発達した後も、漢文訓読・宣命・真名本などに使われた。   
真仮名。男仮名。

以下に万葉仮名のごく一部を紹介します。

「あ」と言う読みに当てた漢字:阿 安 英 足
「い」と言う読みに当てた漢字:伊 怡 以 異 已 移 射 五
「う」と言う読みに当てた漢字:宇 羽 于 有 卯 烏 得
「え」と言う読みに当てた漢字:衣 依 愛 榎
「お」と言う読みに当てた漢字:意 憶 於 應

明治時代に小学校が設置された当初、平仮名は一音に対して複数の文字が教えられていました。しかし、1900(明治33)年の小学校令(勅令第344号)の改正公布に伴い小学校令施行規則(文部省令第24号)第十六条によって平仮名の字体は一音一文字と統一されます。 この一音一文字に統一された平仮名は、万葉仮名の草書体をさらに崩したものからから派生した文字に由来しています。

小学校令施行規則(*3)の該当部分を見てみましょう。   

【小学校令施行規則】   
第十六条 小学校ニ於テ教授ニ用フル仮名及其ノ字体ハ第一号表ニ、字音仮名遣ハ   
第二号表下欄ニ依リ又漢字ハ成ルヘク其ノ数ヲ節減シテ応用広キモノヲ選フヘシ(以降省略)

とあります。第一号表を見ると、中身はまさに現在の平仮名の五十音表そのもので、万葉仮名は廃止されています。

8年後の1908(明治41)年に、文部省訓令第10号(「小学校令施行規則中教授用仮名及び字体、字音仮名遣並びに漢字に関する規定削除の趣旨」)(*4)によって一度は廃止された複数の仮名字体が復活します。
この時、採用されなかった多くの仮名の字体がありましたが、その後、それらは変体仮名(*5)と呼ばれることになります。

江戸から明治へと日本の近代化が推し進められ活版印刷が急速に普及してゆく中で、変体仮名の使用は衰退の一途をたどりました。1900年に施行された変体仮名の使用を制限した小学校令施行規則が、1908年に廃止された後も変体仮名が復活することはありませんでした。

明治の頃は小学校で教えられていた変体仮名も今は義務教育の場から消えて久しく、書道の仮名作品や看板・商標などでその一部を目にすることができるだけになりした。

文化遺産の継承や行政実務さらには学術研究分野で変体仮名をパーソナル・コンピューターで利用したいという要望はずいぶん以前からあります。そのためには行政実務や情報交換用に使われている変体仮名を詳細に調査・収集して文字集合(*6)を決める必要があります。

国立国語研究所が中心になって進められていた行政実務・学術情報交換用の変体仮名の文字集合はその選定作業をおえて、2015年10月に国際文字コード規格 ISO/IEC 10646 にそれらの追加が提案されました。

行政実務用の変体仮名と学術情報交換用の変体仮名には共通するものがあります。提案する文字が重複しないよう双方の文字群の和である286の変体仮名が提案されたようです。

国際文字コード規格 ISO/IEC 10646に変体仮名が収録されると Unicode で扱えることになります。しかし、変体仮名がパーソナル・コンピューターで自由に扱えるようになるためには、収録された変体仮名の文字符号化(*7)の方法を解決し、さらにフォントの開発を待たなければなりません。

変体仮名をパーソナル・コンピューターで自由に扱えるようになるには、未だ少し時間がかかりそうです。

(*1)字体
線や点の組み合わせから成る、文字の骨組みを示す抽象的な概念。書いたり印刷したりするときの基準となる、社会的に一定した文字の形・様式。
(*2)万葉仮名
参照URLはこちら
(*3)小学校令施行規則

参照URLはこちら
(*4)文部省訓令第10号
参照URLはこちら
(*5)変体仮名
参照URLはこちら
(*6)文字集合
2012年3月30日号 ぬらくら 第18回 「符号化文字集合」参照。
記事はこちら
(*7)文字符号化
2012年4月20日号 ぬらくら 第19回 「文字符号化方式」参照。

記事はこちら
【参考資料】
情報管理2015 Vol. 58 No. 6/高田智和・矢田勉・斎藤達哉
沖森卓也『日本の漢字1600年の歴史』ベレ出版 2011年
文化庁ホームページ URL:
http://www.bunka.go.jp
Wikisource
URL:
https://ja.wikisource.org
Wikipedia URL:https://ja.wikipedia.org

タイトルの「ぬらくら」ですが、「ぬらりくらり」続けていこうと思いつけました。
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  著者 Information

ダイナコムウェア コンサルタント
ダイナコムウェア コンサルタント
mk88氏

PROFILE●1942年東京都生まれ。
1966年桑沢デザイン研究所ビジュアルデザイン科卒。
設備機器メーカー、新聞社、広告会社を経て、
総合印刷会社にてDTP黎明期の多言語処理・印刷ワークフローの構築に参加。
1998年よりダイナコムウェア株式会社に勤務。
Web印刷サービス・デジタルドキュメント管理ツール・電子書籍用フォント開発・
フォントライセンスの営業・中国文字コード規格GB18030の国内普及窓口等を歴任。
現在はコンサルタントとして辣腕を振るう。
Blog:mk88の独り言

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